令和2年3月号(第116号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
明 智
AKECHI
 岐阜県 恵那市明智町 恵那市HP


恵那市観光協会HP
 明智は明治から大正期にかけて、養蚕と製糸業で栄えた町である。南に三河や尾張と接する位置だったため、戦国時代には軍事的にも重視されたようで町の東はずれの小高い山の上には戦国時代まで明知城が築かれていた。
 また三河から飛騨へと通じる南北街道と、三河湾でつくられた塩を馬の背中に載せて信州方面へと運ぶための「塩の道」としての役割を果たしていた中馬街道とが交差する町でもあったため、宿場町や在郷町としても発展したようだ。
 しかし昭和後期、高度成長期に入って社会構造が変化し、製糸業の衰退とともに急速に過疎化が進んでしまった。このような町の危機に際し、明治・大正期に建築された文化財的価値のある建物を生かしたまちづくりによる観光客誘致を目指した「日本大正村」構想を立ち上げ、今日着実にその成果を上げつつあるようである。
 なお、NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀の生誕地(生誕地については諸説あるようでNHKは可児市説を採用したようだ)として名乗りを上げアピールしている。
①大正路地 ②大正村役場  ③銀行蔵 ④旧三宅家  
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  ①大正路地 このあたり明智川を舟運に利用していたためと思われる商家の蔵が何棟も残されている。その蔵と蔵の間の細い通路が丁度いい散策路になるため、石畳で整備され、「大正路地」と名付けられて観光コースになっている。
②大正村役場 明治末期に建てられた旧明智町役場で、昭和32年まで町役場として使われていた。現在は「大正村役場」と名付けられ、資料館兼休憩所として観光客向けに内部が公開されている。坂の上から町並みを俯瞰できる眺めのいい場所に建っている。

③銀行蔵 旧濃明銀行の蔵で2棟あり、手前が2階建てで大正期の建築、路地の奥が3階建てで明治期の建築。蔵には農家から買い取った繭を保管していたそうだ。銀行が商家のような役割も果たしていたようである。現在は日本大正村資料館として公開されている。

④旧三宅家 江戸時代元禄期に建築された農家で、明智町の他の地区にあったものを平成になってから現在地に復元移築され公開されている。杉林をバックにしたたたずまいが、のどかでのんびりした空気を味わえる。