平成31年2月号(第103号)     トップページ  年月別リスト  地域別リスト 
有 田
ARITA
 佐賀県  西松浦郡有田町 有田町HP

有田観光協会HP
有田町有田内山

伝統的建造物群保存地区
   有田は、江戸初期から始まった陶磁器の生産・販売で発展した町で、現在100地区を超えた重要伝統的建造物群保存地区のなかでも、製磁町はここだけである。
 有田で生産される陶磁器は、茶わんや湯飲みなどの生活食器から、大皿や花瓶などの観賞用美術品まで多種多様だが、酒井田柿右衛門が成功させた色絵とよばれる多彩色磁器が有名で、遠くヨーロッパにも輸出されマイセンの磁器にも大きな影響を与えた。
 有田焼(積出港から伊万里焼とも呼ばれる)は、必然的に肥前鍋島藩の重要産業となり、商品や技術の流出を防ぐため、町の出入り口には番所を設け厳しく管理していたようである。肥前鍋島藩が明治維新の時期に薩長土肥と並び称される雄藩として活躍できたのも、有田焼がもたらす財力が大きかったようである。
 今日の有田は、伝建地区に指定された内山地区を中心に、窯元+陶磁器商家が皿山通りと呼ばれる谷あいの道の両側に、江戸・明治・大正・昭和と建築時期の異なる多彩な意匠の建物が軒を連ね、独特の町並みを形成している。
 @赤絵町  A三光堂  B札ノ辻付近 Cトンバイ塀    ←画像をクリック 
      
   

@赤絵町 江戸初期に初代今泉今右衛門をはじめ、赤絵(色絵)の技術を身に着けた窯元11軒がこの地に集結し、赤絵町が形成され今日まで受け継がれている。昭和初期に道路が拡幅整備されたせいで自動車交通量が多くなり、道路で町並みが分断されているのが残念だ。

A三光堂 陶磁器商家で、建物は昭和期のもののようだ。黒漆喰で塗り固めた本2階建て蔵造りの外観は、重厚で存在感がある。手前の倉庫は、レンガの外装がほとんどはがれてしまっているが、当初は様式建築のファサードをもった立派な看板建築だったようだ。

B札ノ辻付近 「札の辻」という地名が残っているところをみると、このあたりに昔、高札場があり、町の中心エリアだったのだろう。現在でも道路の両側に、堂々とした構えの陶磁器商家や窯元の建物が建ち並び、昔の賑わいを伝えている。

Cトンバイ塀 トンバイとは登り窯を築くための耐火レンガのことで、その廃材を中心に窯道具や陶片を赤土で塗り固めて築かれたものがトンバイ塀と呼ばれていて、陶磁器の町らしい味わいがある。左の屋敷は、江戸期から続く白磁製作の窯元である辻精磁社。