平成28年1月号(第66号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
坂 本
SAKAMOTO
 滋賀県 大津市坂本 大津市HP
坂本観光協会HP
鶴喜そばHP
大津市坂本 
伝統的建造物群保存地区
 比叡山の麓にある坂本は、山頂にある延暦寺で修行する僧侶たちが、雪深い冬期や老後に比叡山から降りてきて、生活の場として住まいを構えた里坊の町である。
 住まいといっても住むのは僧侶だから、町の建物の大半はお寺である。しかも延暦寺の僧侶というのは、宗教人であるとともに強力に武装した集団でもあるから、そのお寺はみな高い石垣と生垣に囲まれ、石垣の中の建物や生活ぶりがほとんど見通せない構造となった要塞の町でもある。
 だから町の中を散策していると、古い町並み歩きをしているというよりは、お城の中を歩いている、といった感覚に近い。全国の城下町の中には、寺町とよばれるお寺の集合エリアが残されているところをときどき見かけ、それらは多かれ少なかれ戦時を想定した防衛拠点の構えが施されてはいるが、坂本ほどものものしくはない。坂本は信長の比叡山焼き討ちをはじめ、歴史上何度も時の権力者との闘争を繰り返してきた経験が、町づくりに大きく反映しているのだろう。
@公人屋敷 A鶴喜そば  B石垣の町並み C滋賀院門跡   
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  @公人(くにん)屋敷(旧岡本邸) 公人とは、延暦寺の僧侶でありながら、妻帯と名字帯刀を認められた人の呼称で、岡本邸はその住居の一つ。僧侶の屋敷とはいえ、外観はほとんど商家である。
A鶴喜そば 日吉大社の参道沿いにあるそば店。初代当主の鶴屋喜八の名前から店名がつけられている。創業が徳川吉宗の時代で、建物が明治初期創建だから100年以上経っており登録有形文化財の指定を受けている。

B石垣の町並み 両側が高い石垣とその上の高い生垣に囲まれた坂道が、坂本の代表的な町並み風景である。坂本の町は比叡山の裾野の傾斜地に位置しているため、石垣は防衛目的のほかに、宅地造成の土留めの役割も果たしているようだ。この石垣は隣町の職人集団の名をとり、穴太(あのう)衆積みとよばれている。

C滋賀院門跡  皇族が出家して居所とする寺院は門跡と呼ばれる。滋賀院門跡もその一つ。江戸時代初期に、京都の北白川のあった法勝寺を現在地に移して、上皇から滋賀院の号を賜ったという。宗教と朝廷権力との強い結びつきがうかがえる。