平成25年7月号(第36号)     トップページ  年月別リスト  地域別リスト 
大宇陀
OUDA
 奈良県  宇陀市大宇陀区  宇陀市HP

宇陀松山観光案内HP
宇陀市松山

伝統的建造物群保存地区
   大宇陀は万葉の時代に、柿本人麻呂が
  「ひむがしの 野にかぎろひの立つ見えて
          かへりみすれば 月かたぶきぬ」
と読んだ地として知られている。ここは奈良の都から伊勢と吉野へ向かう街道の分岐点にあり、必然的に物流の結節点となって商業町が生まれた。その後、戦国時代に宇陀松山城が築かれ城下町としての整備が進められ今もその名残を見ることができる。また古くから葛根湯の材料である葛をはじめ薬草の栽培が盛んで薬草店の看板を掲げた商家が今も残されており、現在は葛もちが特産品として土産物店に並べられている。今日の町並みは近世以降のものであるが、町を包む風土には万葉ののどかさが感じられる。


 @松山西口関門  A薬の館  B万法寺への路地 C伊勢本街道    セピア色の画像をクリックして下さい。
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@松山西口関門 戦国時代、町並みの東側の小高い丘に宇陀松山城が築かれ、江戸時代には城下町も整備されるなかでこの門も建築され松山城の西門になる。城門が、町並みの中に民家と甍を連ねて違和感なく残されている姿は珍しい光景だ。ただ、少し目立たない場所にあるのがもったいない気がする。
A薬の館 薬問屋だった細川家住宅が歴史文化館として活用されている。唐破風のある屋根つき看板が重厚で町並み景観のいいアクセントになっているが、隣接する電気店の広告看板がちょっと気になる。ちなみに細川家は藤沢薬品(現アステラス製薬)の創始者である藤沢友吉の母の実家である。

B万法寺への路地 大宇陀の町は南北に宇陀川が流れ、川沿いの西側に通りがあり、川の反対側に少し離れて伊勢本街道が走っている。この2つの通りを結んで東西に何本かの路地がある。いずれも一間半くらいの道幅の狭い通路だが、古い町並みには欠かせない落ち着いた空間になっている。

C伊勢本街道 伊勢本街道沿いには、屋根付き看板と袖うだつの上がった商家が並ぶ。 特に看板には威厳を示したものや趣向を凝らしたものがみられ、町並みのいいアクセントになっている。現代のギラギラした目立つことだけを主眼においた広告塔や看板を見ていると、せっかくのいい文化をどこかに置き忘れてしまっているように思える。