平成24年11月号(第28号)     トップページ  年月別リスト  地域別リスト 
富田林
TONDABAYASHI
 大阪府  富田林市富田林町  富田林市HP
 

富田林市観光協会HP
富田林市富田林

伝統的建造物群保存地区
 

 富田林は、奈良の今井町と同様、一向宗の寺内町として中世に築かれた自治都市である。江戸時代には天領となって、幕府の支配地となったが、河内の米や綿花の集散地でもあったため商業の町として発展した。その頃の豪商たちの屋敷群が今もそっくり残されている。
 今日、富田林は大阪市内から電車で30分ほどのエリアなので、大阪のベッドタウンとして開発が無計画に進み、全体的に雑然とした町並みが広がっているが、寺内町エリアだけは、周辺とは対照的に整然とした別世界を保っているため、すぐにそれとわかる。また、富田林といえば、今では高校野球のPL学園や夏のPL花火大会で有名なPL教団が思い当たり、寺内町からもPL教団の大平和祈念塔の特徴あるフォルムが遠望できる。今も昔も宗教に縁の深い町のようだ。

 @旧杉山家住宅  A葛原家住宅  B興正寺別院 C城之門筋    セピア色の画像をクリックして下さい。
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@旧杉山家住宅 17世紀中ごろに建造の建物で、国の重要文化財に指定されている。入母屋屋根の妻側が3重に雁行しているのが、道路側から塀越しに望観できる大邸宅である。

A葛原家住宅 案内書には「葛原家は屋号を<たばこ屋>とし、江戸末期に酒造業をはじめた」とあるので、最初はたばこ業を営んでいたようだ。珍しい3層の蔵が通りに面している。3層にしたのは必要性からもさることながら、富の誇示がメインだったのではないか。

B興正寺別院 京都の興正寺が16世紀にこの地に別院を建立し、荒れ地を開発して寺内町を開いた。正門横には重厚な鼓楼が構えられ、昔は、まさに町の中心として鐘の音を町の隅々にまで響き渡らせていたのだろう。

C城之門筋 町のメインストリートといえる通りで、通りの両側には、興正寺別院や妙慶寺をはじめ、豪商の町家が連なっている。通りには「あて曲げ」と呼ばれる屈折した個所がつくられ、軍事都市でもあった面影が残されている。