平成24年2月号(第19号)     トップページ  年月別リスト  地域別リスト 
熊川宿1  福井県  三方上中郡若狭町熊川  若狭町HP  若狭町熊川宿

伝統的建造物群保存地区
 鯖街道熊川宿まちづくり協議会HP
   京の都と若狭湾とを結ぶ街道は、海産物の運搬経路として鯖街道と呼ばれ何本かのルートが存在したが、そのうち小浜から熊川・朽木を経て大原に向かう道が最短ルートであり若狭街道と呼ばれて最も重視されていた。織田信長が越前の朝倉攻めのとき、浅井の裏切りに会いあわてて敦賀から京都に逃げ帰ったのもこのルートである。若狭街道を若狭から京へ向かうと、熊川は国境の峠越えをする手前にあり、その立地上、宿場町としてはもちろん流通拠点として、また軍事拠点として重要な町であった。現在も古い問屋街が保全されており、国道303号線が町並みの外側に整備されたため、自動車の往来に邪魔されないのんびりした町並み散策が楽しめる。 
 @中ノ町  A旧逸見勘兵衛家住宅  B上ノ町 C熊川番所    セピア色の画像をクリックして下さい。
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@中ノ町 熊川宿には街道に沿って前川とよばれる用水路がある。しゃがめばすぐ手の届く位置にきれいな早い流れがあり町並みにやわらかい印象を与えている。水路はことごとくコンクリートでふたをされている現代の都会では見れない光景である。

A旧逸見勘兵衛家住宅 逸見家は宿場の中の運送業で活躍した商家であり、勘兵衛の息子の竹之助は近江商人の伊藤忠兵衛の長女の娘婿となり、伊藤忠商事の2代目社長となった。この商家は町に寄贈されたのち保存改修工事が行われ、公開されるとともに町家民宿として宿泊できる。

B上ノ町 このあたりは切妻の平入り商家が、屈曲した街道沿いに建ち並び、バックには滋賀との国境の山並みがせまって、格好のスケッチポイントである。

C熊川番所 熊川番所は軍事上・治安上の警備施設であるとともに、鯖街道を通過する豊富な物資に課税する徴税施設でもあった。こじんまりした建屋であるが、この流通課税から得られる収入は相当のものだったと想像され、藩にとって貴重な財源となっていたのだろう。