平成23年1月号(第6号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
川 越
KAWAGOE
 埼玉県 川越市幸町 ほか 川越市HP

小江戸川越観光協会HP

川越市川越
伝統的建造物群保存地区

 川越は、徳川幕府が江戸城の北の守りの拠点として、川越城を中心に城下町として整備した町である。城主には常に徳川家の重臣を配していたことから、重視の度合いがわかる。
 町の中を流れる新河岸(しんがし)川は荒川を経由して、江戸につながっており、また川越街道も江戸に直結されている。この河川路と陸路との交通手段を活用して、川越は北関東の農産物を、大消費地江戸へ運ぶ商業活動の集積地として発展した。
 川越は江戸から明治にかけて何度も大火に見舞われたため、必然的に、防火建築である蔵造りが町家の主流となり、町並みを形成していった。その多くが現在も残されており、失われてしまった江戸の古い町並みを懐かしんで「小江戸川越」と呼ばれ、大勢の観光客を集めている。
 蔵造りの町家は、現在でも各地に残されているが、川越のものは重厚で骨太い雰囲気の意匠が特徴で、ガラスで覆われた軽いタッチのビルが都市建築の主流になっている今日、その重厚さに圧倒される。

①菓子屋横丁 ②一番街  ③時の鐘 ④大正浪漫通り  
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  ①菓子屋横丁 明治期から菓子を製造・販売する店が建ち並び始め、関東大震災後には、東京に向けた菓子供給地となり、繁栄した。今日でも駄菓子屋を中心に軒を連ねており、昔懐かしさに惹かれて大賑わいしている。
②一番街 蔵造りの町並みのメインストリート。大きな鬼瓦とのし瓦、何層にも重ねられた軒裏、重厚な袖うだつなど、ゴツゴツした重々しい蔵造りの町家が連なっている姿は壮観である。

③時の鐘 江戸初期に建築され、その後何度も大火に見舞われ、現在のものは明治期に再建されたもの。現在でも一日に4回時を告げる鐘の音を響かせており、川越のシンボルになっている。

④大正浪漫通り 以前、銀座通り商店街と呼ばれていた通りだが、一番街に集まる観光客を引き込もうと、明治~昭和初期の古い建物を生かして、大正浪漫夢通りとネーミングし、蔵造りの町並みとは一味違った町並みづくりが取り組まれている。