8月


19日
ココ・シャネル(Coco Chanel)
       (本名 ガブリエル・シャネル Gabrielle Chanel)

(1883〜1971)  フランスの女性服飾デザイナー

フランスはロワールとブルターニュ地方の境にあるアンジェから約50キロのソーミュールという町の施療院で、合法的ではない両親の3人姉妹の次女として産声をあげています。12歳のころに母を亡くし、父親に捨てられ、修道院の孤児院で育つことになります。

20歳になったときに、下着衣料店に奉公にでますが、ちょうどそのころはミュージックホールの黄金時代で、彼女も歌手に憧れて、ある舞台で歌を歌っていました。ここの客から自分が歌っていた「コ・コ・リ・コ」と「トロカデロでココを見たのはだれ」というシャンソンから、「ココ」という愛称を付けられました。

その後、パリ近くの城に住むバルサンという男の愛人になり、そこで知り合ったアーサー・カペルと恋仲になります。このカペルの出資でココは帽子屋を開業し、アクセサリーや服へと手を広げていきますが、最愛のカペルを事故で失っています。

彼女は、飾りばかりで重たい当時の帽子に反し彼女は小さくて軽い活動的なものを発表しました。このように女性が活動的で美しくあるファッションが彼女のスタイルで、1916年にはクチュリエとしてコレクションを発表。下着とされていたジャージー素材の服、膝下丈のスカート、喪服にしかなかった黒のドレスなど、次々に常識を覆していきました、クチュールハウスの中にアクセサリーブティックを設け帽子、スカーフ、バック、靴、香水などのトータルルックを発表。

また装飾を省いた衣服の本体にブレードやコードの縁取りをつけ,当時としては珍しい大小の色ガラスやクリスタル・ガラスのアクセサリーを取入れたりもしています。

生まれつき自立と自由の精神を授かり、終生“実用的で着やすく自由な服”を提唱し続けた彼女は、窮屈であった女性のファッションに自由をもたらす革命を起こしました。また同時代の芸術家とも親交が深く、多くの若手芸術家に対して資金援助を惜しみませんでした。第2次大戦後、メゾンを閉じて引退しますが1954年に再開しています。

彼女亡き後も、ブレードで縁取りされた衿なしのツイード・スーツ“シャネル・スーツ”をはじめ、“シャネル・パンプス“、シャネル・バッグ”など数多くのシャネル・スタイルが現在も受け継がれています。
マリリン・モンローで有名な「シャネルNo5」の生みの親は、調香師エルネスト・ボーです。シャネルは、彼に「女性そのものの香りがする本物の香水」を作るよう頼みました。そして彼は10本のボトルをシャネルに送りました。そのボトルには1番から5番、20番から25番までのラベルが貼られていました。シャネルがその10本のうちから1つだけ選んだのが5番のラベルのボトルでした。選んだ理由は、シャネルのラッキーナンバーが5番だったからです。合成香料のアルデヒド、スズラン、南フランスのグラースという町でできるジャスミン、バラそしてバニラ、アンバー、ムスクといった香料等でできています。例えば56mlの香水を作るためには3000個ものジャスミンが必要とされるのだそうです。
人気が出ると偽物もたくさん作られるようになりましたが、彼女は全く気にしていませんでした。あるパーティに出席したとき、招待されていた女性全員がシャネルスーツを着ていて、それを見たココは「私の着ているものも本物かわかりませんの」と言ったというエピソードも残っています。また、イミテーションの宝石を流行させたのも彼女。偽物を堂々と飾る潔さは、上流階級の女達への皮肉もあったとのこと。
子供は、だれでも隠れ場所をもっていて、そこで遊んだり、夢みたりするものだ。あたしの秘密の場所は、オーベルニュの墓地だった。(中略)この秘密の園で、あたしは女王さまだった。地下に住んでいる人たちを、あたしは愛していた。「死んだひとを思ってあげれば、そのひとは、死人ではなくなる」そう考えていたのだ。(中略)誰かが、あたしを愛してくれるという確かなものがほしかったのに、あたしときたらひどい人たちと暮らしていたのだ。
だから、後年ひとり言をいうのが好きで、ひとの言うことは絶対にきかないあたしの性格は、最初に、心を打ち明けた人たちが、死者だったためかもしれない。
                     『獅子座の女 シャネル』(ポール・モラン著 秦 早穂子訳)より
子供の頃、彼女は薄汚れた部屋でがんじがらめにされていることを憎み、富と自由のイメージとして「白」いものばかりを夢見ていたという。
ココ・シャネルの残した言葉

「香りって重要よ。不潔な人には、必要ないけど。 素敵なひとには、無くてはならないものよ。 香水は、本当の贅沢なの。」

「詩人バレリーは言ったわ。 『香水の趣味が悪い女性。そんな女性に未来はない』と。 香水をつけないなんて、ただのウヌボレよ。」

「ファッションは芸術か?」との問いに。 「いいえ。これは緻密な作業が生む工芸だと思うの。 それこそが、スタイルなの。 流行は変わっても、スタイルは不変だわ。」

「ズボンをはく女性なんて、全く嫌なものね。 彼女達は幸せじゃないわ。 愛が必要なのに、愛されない女性。 なんて不幸なのかしら。 死んだほうが、マシでしょうね。」

「「ミニスカートをはいてる女は勘違いのうすのろ。男が喜ぶと思っていたら大間違い!ヒザ小僧を出すなんて下品で醜い!」

「わたしは、女性の弱さを信条としているの。 世界には、おそらく3人の重要な女性がいるの。 男性には出来ないことを、実現する女性が…。 え?そのうちのひとりが、私? まぁ、あなた。お世辞は、よしてよ。」


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