8月


14日
アーネスト・エバン・トムソン・シートン(1860〜1946)アメリカの博物学者,作家

イギリスの海岸町サウスシールズで10番目の男子として生まれました。彼のエバンという名前は、昔スコットランドを荒らしまわっていた狼の群れを滅ぼした、祖先の名前をもらったものです。

彼が5歳になったときにシートン家は、新しい土地で運試しをするために、イギリスを後にして植民地であったカナダに渡り、南西部にある五大湖地方の森林地帯に家を買い、開拓民として住み着きました。

生活は決して楽なものではありませんでしたが、ここで育つ間に彼は美しい自然や、そこに生きる動物達を深く愛すると共に、たくましく成長していきました。

4年の開拓生活の後、一家はトロント市に移り、トロントの美術学校に進み、その後、絵の勉強を続けることを父に許してもらい、ロンドンで父が送ってくれる毎月25ドルの仕送りを頼りに勉強を続け、みごとロンドンの王立美術科学学院に入りました。絵の修行を済ませてカナダに戻り、彼はあらたな情熱を持って自然を観察しはじめました。

1883年23歳の時、わずか3ドルのお金を持ちニューヨークへ出ます。まもなく、センチュリーマガジン社で百科事典の挿絵の仕事をもらい、その後は、カナダやアメリカの原野を旅行しながら、野生動物たちを観察し、やがて、動物を主人公とする物語を雑誌に発表し始め、大人からも子供からも広く愛される人気作家になりました。

1930年彼はアメリカ西部のニューメキシコ州に広い土地を買い、妻と一緒に住み着きました。そしてこのシートン村の自然をできるだけありのままに保存し、自然の博物館にしていきました。この「自然の博物館」で、彼は86歳という長い一生を終えました。
彼がロンドンにいたとき、大英博物館の中仁博物学の本が数多くある図書室があることを聞きましたが、18歳ではまだ閲覧は許されませんでした。しかし、彼は博物館の理事をしている皇太子やカンタベリー寺院の大僧正に手紙を送って頼んだところ、すぐに返事があって、終身会員のカードを送ってもらったそうです。
「なぜ、もっとまえの時代に生まれてこなかったのか。バッファローが生きたあの黄金時代を見ることができるなら、私はすべてを犠牲にしていい」 アーネスト・T.シートン
ベーデン―パウエルは、1906年7月にシートンからウッドクラフト(森林生活法)を英国でも広めたいという手紙を受け取る。同年10月にシートンとロンドンで会い、ウッドクラフトに基づく少年団体を英国でも普及させる計画について話しあう。SFBにはシートンのアイデアが随所に取り入れられている。少年たちが特定の技能を獲得すると指導者よりバッチが与えられるバッジ・システムや各隊・班に動物の名前を付けることなどはもともとシートンが考案したものである。
シートンは、アメリカのレッド・インディアンの生活などを題材に取り、自ら森林生活法を創り上げ1902年にはウッドクラフト・インディアンズ(Woodcraft Indians)という少年団体を設立していた。その後、シートンはボーイスカウトアメリカ連盟(BSA)の初代チーフ・スカウトに選ばれる。しかし、市民教育と愛国心とを最も強調し、ウッドクラフトは活動の一手段としていたスカウト運動に対し、シートンは道徳的な教訓は全く関心がなく愛国心を強調することは否定的で、ウッドクラフト自体を目的としていた。更に彼は、スカウト運動の軍国主義、管理主義、野外活動精神からの逸脱を批判したため、1915年にチーフ・スカウトの地位を奪われBSAから離れていく。シートンはその後、ボーイスカウトの元々のアイデアであるウッドクラフトの理念と方法をベーデン―パウエル及びBSAに盗用されたとして訴訟を起こす


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