8月


7日
司馬遼太郎(1923〜1996) 作家

大阪で生れました。乳児脚気のため、三歳まで奈良県北葛城郡で養育され、その後、大阪に戻り1942年大阪外語大学蒙古学部に入学しました。しかし、その翌年、学生の徴兵猶予が停止され、大阪外語大学を仮卒業で学徒出陣し、兵庫県加古川の戦車第19連隊に入営し、見習い士官として牧丹江の戦車第一連隊に赴任。その後1945年に内地に帰還し、終戦を迎えました。

その翌年、新日本新聞に入社しましたが、1948年に会社が倒産し、産経新聞社京都支局に入社します。1953年、文化部勤務となり、文学、美術の担当となりました。勤務のかたわら寺内大吉らと同人誌「近代説話」を創刊し1955年「名言随筆・サラリーマン」を本名で発表し、翌年「ペルシャの幻術師」で第8回講談倶楽部賞を受賞しました。

その後「戈壁の匈奴」などを発表し、「梟(ふくろう)の城」で第42回直木賞を受賞しました。「風神の門」など伝奇性に富む作品を多く書いていましたが、その後「龍馬がゆく」「城塞」などで史実をもとに現代的な解釈を加えた歴史小説の新分野を開拓しました。

ほかに,明治維新政府の抗争を軸に江藤新平の悲劇を扱った「歳月」、大村益次郎の生涯を描いた「花神」や、秋山真之や正岡子規らの人間群像を通じて明治日本の夜明けを描く「坂の上の雲」などの力作があります。

1972年には「世に棲む日日」を中心とした活動で吉川英治文学賞を受賞。 1976年日本芸術院恩賜賞。1982年「ひとびとの足音」で第33回読売文学賞を受賞。 そして1993年には文化勲章を受章しています。
上記の本文に「見習い士官」という記述がありましたが、読者の方から、次のような指摘を頂きました。本当に勉強になりました、ありがとうございます。

これは「見習士官」が正しいです。見習士官は士官の見習いではなく、歴とした日本陸軍の階級です。徴兵後初年兵教育の中で優秀なものが推薦されて予備士官学校に進みます。この予備士官学校を卒業するとまず見習士官に任ぜられ、半年〜一年後に少尉に昇進するのが通例です。海軍の「少尉候補生」と同じような位置づけでした。曹長と少尉の中間、准尉(陸軍のみ)と同じような地位です。


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