8月


6日
サー・アレグザンダー・フレミング(Sir Alexander Fleming)(1881〜1955)イギリス 細菌学者

エアシャー,ロックフィールドで生まれました。1906年にイギリスはロンドンの、セント・メアリーズ病院付属医学校を卒業してから、「生体の中にこそ、有害な闖入者を攻撃し、生体を防御する何物かがある」と説いた細菌学の権威アームロス・ライトに師事。生体液に含まれ、細菌を溶解する仮定の物質(酵素)を発見し、その物質にリゾチームと命名しましたた。

その後、ロンドンで、インフルエンザの研究中、ブドウ球菌の培養皿に偶然落ちたカビが、その周囲だけ菌の発育を押えているのを発見、このカビの培養液を800倍に薄めても,ブドウ球菌の発育を妨げた。これに彼はペニシリンと名づけて1929年に発表しました。

しかし、ペニシリンは不安定な物質なので単離するのは困難で、結局彼はペニシリンを有効活用することができませんでした。そしてそれから10年後フレミングのペニシリンの論文を見たフローリーは「これは使える!」と思い立ち、チェーンとともに苦労の末1940年遂に単離に成功し、この夢の薬が実用化されたのでした。

この功績により3人は1945年ノーベル生理学医学賞を受賞しました。
ペニシリン
ペニシリンは細菌の細胞の一番外側にあって周囲から細胞を守ったり、細胞の形を保ったりする働きをしている細胞壁の合成を阻害します。この細胞壁は人間をはじめとする動物には存在していません。だから、ペニシリンは人間に与えても人間の細胞には毒性を示さないのです。選択毒性と呼ばれるこの性質が、ペニシリンが非常に優れた抗生物質である最大の理由です。
ペニシリンの単離に成功した知らせを知って、フレミングは喜んで二人に会いに行ったのですが、彼の訪問に二人は非常に驚愕しました。なんとフレミングはもう死んでしまった過去の偉人と二人は思っていたのだそうです。
真実かどうかは定かではありませんが、インターネットで見つけたちょっと面白い話です

ある日、スコットランドのフレミングというつましい暮らしをする農民が沼で溺れそうになっていた少年を助けました。次の日立派な馬車からおりたったこの少年の父親がお礼に何かお返しをしたいと言いました。フレミングさんがとんでもないと断ると、この紳士は、あなたの息子さんに私の息子と同じ教育を受けさせてあげましょう、もしあなたの息子さんがあなたのようであれば、我々が皆誇りにできる立派な人間に成長することでしょう、と申し出ました。

フレミングさんの息子は当時の優秀校で勉学に励み、ロンドンのセント・メリー医大を卒業し彼の名は世界的に知られるようになりました。彼の名前はサー・アレキサンダー・フレミング。そうペニシリンの発見者。その何年も後に、この沼から助けられた貴族紳士の息子が肺炎にかかりましたがペニシリンのお陰で助かりました。紳士の名前はランドルフ・チャーチル卿。息子の名前は、サー・ウィンストン・チャーチルでした。
フレミングの言葉
あるテーマの研究において、第一歩を踏み出すのはいつでも孤独なひとりの研究者です。細部はグループ研究の領分に属しますが、最初の出発は個人の着想と発案によるのです。わたしがペニシリンを発見したときも、もし私がグループ研究を行っていたとしら、そのとき研究中だった問題と何の関係もなかったこの偶然を、私は顧みなかったに違いありません。しかし、そのとき私はどのグループにも属していなかったので、思いがけなく目の前に展開した道を私なりに突き進んでゆくことができたのでした。 
フレミングの言葉
「ペニシリンの最大の恩恵は、その発見により、何かもっといいものを見つけ出そうとする新しい研究を刺激したことである」 
ペニシリンの発見者のアレキサンダー・フレミングは戦後、一般の病院で抗生物質が使われ出したことを危惧して、ラジオのインタビューで、 「抗生物質にも欠点があります。それは耐性菌の問題です。ペニシリンは決して万能の薬ではありません。誤った使い方をしていると、将来大きな失望をするでしょう」  と話しており。今それは院内感染など現実のものとなっている。


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