5月


26日
谷川徹三 (たにかわてつぞう)(1895〜1989) 哲学者 評論家

愛知県常滑市に生まれました。第一高等学校を経て、1922年に京都大学哲学科を卒業しています。同志社、龍谷、法政の各大学で教鞭をとり、法政大学の総長をつとめました。その後、国立博物館次長ほか文教方面の諸委員会に関係しています。

ヒューマニストとして広い知識と穏やかな意見を持ち、哲学と文学、芸術の接点を求めて文芸評論、文明批判に独自の領域を開きなど数多くの著作を発表しています。

また、宮沢賢治の世界を広く紹介した事でも知られています。

戦後はその悲劇を再び招かないために世界連邦運動に共鳴、理論の研究・啓蒙に活動しましたが、1989年9月27日虚血性心不全のため、明治・大正・昭和・平成の4代にわたっての長い研究生活に終止符をうちました。

最期まで研究に精力を注いだ彼の墓は、駆け込み寺といわれた北鎌倉の東慶寺の奥域にあります。

主な著作「生活・哲学・芸術」「日本人のこころ」「東洋と西洋」「茶と美学」「生の哲学」「芸術の運命」「人間であること」
私がヨーロッパの各地を歩いて感じますもう一つのことは、至る所に廃墟というものがある。そして、その廃墟というものが非常に美しい。独自な美しさを持っている。今言いましたアテネのアクロポリスといい、エピダウロスの劇場といい、ローマの郊外にヴィラ・アドリアーナといいまして、ハドリアーヌス帝の離官の跡が遺っております。これは今では大部分煉瓦の残骸でありますけれども、しかし広大な庭園の跡もあって非常に美しい。世界でもっとも美しい廃墟の一つであると私は思っております。ローマ市内にあるフォロ・ロマーノ------昔の市場の跡も独特の廃墟の美しさをもっておりますし、ローマの中には至る所に廃墟の美しさが見られますけれども、しかしそのヴィラ・アドリアーナのような廃墟の美しさをもっている所は他にないと私は考えている。そういう廃墟の美しさというものは、日本にはないのです。廃墟というのは、人工の美しさの跡をどこかにとどめながら、それが自然に帰ろうとしている、いわば中間の状態でありますが、こういうものは、石とか煉瓦のような耐久性のある材料をもってしなけれぱ遺らない。木造建造物では廃墟というものはどうしても遺りません。したがって日本の古いお寺とかお社は、しょっちゆう修繕をしなくてはならない。したがってこれは廃墟ではないわけです。

(世界の中の日本芸術)
詩人谷川俊太郎の「母の恋文」には、谷川俊太郎氏の両親「谷川徹三・多喜子」が出会ってから結婚までの2年間(大正10年8月〜大正12年7月)に交わされた手紙が紹介されています。その2年間に交わされた手紙の数は537通にもなるそうです。


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