5月


25日
浜田 広介(1893〜1973)童話作家 近代日本における幼年童話の創始者

山形県、高畠町一本柳に農家の長男として生まれました。本名は廣助といいます。幼少の時、土手を母と散歩中に、一匹の毛虫と出会い、母に、「この虫がやがて蝶になって、一緒に遊んでくれるんだよ」と、命の大切さを教わったといいます。

米沢中学(現県立米沢興譲館高校)から、早稲田大学英文科に進学し、1917年、早稲田大学在学中に「黄金の稲束」が「大阪朝日新聞」の懸賞童話に当選。その後、童話の開拓に努力し、愛情と善意の世界を詩情豊かに表現し、年少児のための童話に新境地を開いたものと評価されています。作品は一般に「ひろすけ童話」と愛称されています。

代表的な作品としては「花びらのたび」や、「むく鳥のゆめ」、「龍の目のなみだ」、「泣いた赤おに」などで、いずれにも人間を本質的に善意に満ちたものと考える彼の思想が現われています。

1930年、日本児童文芸家協会を結成し、初代理事長になりました。その後も、童話作家の道を歩み、児童文学ひとすじに1000編余りの作品を残しました。

1972年に高畠町初の名誉町民に推挙されましたが、翌年秋、80歳で永眠。素朴で純情善意に満ちた詩情豊かな広介童話を未来に伝えるために、浜田広介記念館が1989年5月に建設されました。
浜田広介の原点は、人間を本質的に善意なものととらえる思想にあります。処女作『黄金の稲束』の百姓が老馬を思いやるやさしい心が表現され、『椋鳥の夢』では、母鳥の死を雪の夜の夢が暗示する描写が悲しいまでに美しく描かれています。彼の童話が、人々の心に訴えるのは、このやさしい心の織りなす美しい世界なのだといえるでしょう。
平成元年5月に建設された、浜田広介記念館は、広介氏の遺品、生原稿などが展示されているほか、童話ルームでは、マルチスクリーンで上映されているそうです。その他にも「ないた赤おに」や読書ルーム、喫茶コーナーもあり、子供たちはもちろん、大人の方にも楽しんでいただける施設になっているそうです。
大正 7 「途暗し」北村透谷賞入選
昭和15 日本文化協会の児童文化賞受賞
昭和17 野間文芸奨励賞受賞
昭和28 文部大臣芸能選奨受賞
昭和32 「浜田広介童話選集」産経児童出版文化賞受賞


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