5月


24日
ミハイル・アレクサンドロビチ・ショーロホフ(1905〜1984)ソ連 小説家

ドン地方(南ロシア)のコザック村の商人の家庭に生れました。中学に在学中、国内戦が起こり、赤衛軍に加わってドン地方を転戦しています。その体験を文学作品として表現するために作家になろうと決意し、モスクワに出て、石工や人夫などになって働くかたわら文学の勉強をし、1924年「ほくろ」で文壇にデビューしました。その後、短編集「ドン物語」と「るり色の曠野」を刊行し作家としての地位を確立しました。

1925年にドンへ帰ってからは、ほとんどドンの地を離れずに、創作活動を続け、コザック社会の移り変わりを描いた代表作の「静かなドン」の執筆に専念(1925〜1940年)。また、この長編と並行して、農村集団化を主題とする長編「開かれた処女地」を書き、第1部を1932年に発表、第2次世界大戦中の中断を経て第2部は1960年に完結しました。

大戦中は従軍作家として前線に行き、「プラウダ」紙などに多数のルポルタージュを発表していました。ほかに長編「彼ら祖国のために戦えり」、短編「人間の運命」「子馬」などがあります。

1965年ノーベル文学賞を受賞しました。

※赤衛軍
1917年、ソビエト革命政権樹立のために、武装した労働者で編制した軍隊。「労農赤軍」の前身。
短編「仔馬」のあらすじ。(不確かな記憶ですが)

戦争中、従軍中のある軍馬が子供を産みました。主人公は最初は「迷惑な」と口では言いつつ、徐々に情が移って行きます。ある時、敵に追われて退却する最中に河を渡ることになり。兵士や他の軍馬は次々と川を渡って進んでゆくのですが、仔馬だけはうまく泳ぐことができず、ついに流れに呑まれてしまいます。主人公は溺れた子馬を助けるために引き返して行きます。

敵の指揮官は彼らが岸に上がるまでの間、砲撃を中止し、そして仔馬の生還を確認してから・・・主人公を・・・。

今際のきわ、彼の口元に浮かんだのは・・・

最後は書かないでおきましょうか。
NHKのBSで特集をしていましたが・・・
「花はどこへ行った」はアメリカのフォークシンガーの、ピート・シーガーがショーロホフの小説『静かなドン』からヒントを受けてつくったということでした。しかし、小説に登場する少女の歌は、もともとコザック兵のあいだで歌われていたものらしいのです。
つまり、ロシアのフォーク・ソングがショーロホフの小説に取り上げられ、そして、アメリカのフォーク・ソングに生まれ変わったというわけなのです。さらに、シーガーがつくったのは途中までで、その後はまた別の人がつけくわえた」ということでした。なんだか、少しややこしいですね。

最初の歌詞は

花はどこへ行った  少女が摘んだ
その少女はどこへ行った  若い男と一緒になった
その若い男はどこに行った  戦場に行って死んだ

だけだったが、そこにヒッカーソンが次のように歌詞をつけ加えたそうです。

死んだ兵士はどこへ行った  お墓に入った
その墓はどこへ行った  花で覆われた

つまり、これで花で始まり、花で終わって歌の最後の部分につながっていく構成になったわけです。


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