5月


21日
アンリ・ルソー(Henri Rousseau)

(1844〜1910)フランス 素朴派の代表的画家

ランス北西部のラヴァルに金物屋の息子として生まれました。1855年には父親の商売がうまくゆかず破産。1863年より公証人の事務員となり、同年から1868年まで兵役についています。1869年からパリの入市税関の雇員となり、いわゆる「日曜画家」として仕事の余暇に絵を描き、1893年定年前に退職して職業画家となりました。

1868年以降アンデパンダン展などに出品し、一般からは認められませんでしたが、人柄も素朴で、純真、無邪気で、描く絵も無邪気なファンタジーに満ちていました。ピサロ、ルドン、ドガ、ピカソ、トゥールーズ=ロートレックらの画家や詩人A・ジャリに歓迎されました。

1897年に『眠るジプシー女』 (ニューヨーク近代美術館) を発表し、その素朴で単純な形態と抒情的な幻想の世界はコクトーやアポリネールにも注目されました。ほとんど独力でプリミティブな新様式を確立し、画風の素朴さは、描くことの喜びを表現しているものとして評価され、注目を集めていきます。1900年以後多くの大作を描いています。

また音楽にもすぐれ、彼の作曲したワルツ『クレマンス』はフランス音楽アカデミー賞を得ました。

主要作品は上記のほか「風景の中の自画像」(プラハ国立美術館)・「蛇使いの女」(オルセー美術館) など。
画家として正規の美術教育を受けなかったルソーは、デッサンの技術、遠近法や明暗法などは身につけていませんでした。そのかわり彼は、ルーヴル美術館での模写、パリの植物園での写生、子ども用の図鑑などをとおして独学で学んだそうです。
貧乏だったルソーと犯罪

1864年、切手(20フラン切手と1フラン切手)と小額の金を盗み、1ヶ月間プレ・ピジョン刑務所に服役。
1893年、退職して職業画家になった頃は、年金の不足分を大道芸や音楽の個人レッスンで補っていました。
1907年、フランス銀行の詐欺事件に巻き込まれ逮捕されるが、執行猶予の判決を受ける。
1910年、死去、66歳でした、このときは、共同墓地に埋葬されています。その後、1947年に遺骨を掘り出し、生地ラヴァルの墓地に埋葬。


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