5月


17日
エドワード・ジェンナー(Edward Jenner )(1749〜1823)イギリスの医師、博物学者、種痘の発見者

イギリスのバークリーで牧師の3男に生れました。5歳の時両親をなくし、その後は兄に育てられました。15歳の頃から医学を学び、1770年ロンドンに出て、名医J.ハンターに師事、3年後郷里で開業しました。その頃牛痘にかかった農婦は痘瘡 (天然痘) にはかからないという経験に基づいて研究を進めていきました。

彼は甥のヘンリーとともに牛痘にかかったことのある19人の患者の皮膚に天然痘の膿を植えてみた結果、全ての人で皮膚が赤くなるだけで、痘疱はできませんでした。その後、実験観察を重ねたうえで、彼は人工的に牛痘を植えてみることにしました。

1796年、牛痘にかかった人の手の水疱からとった膿を、当時8才のジェームズ・フィリップス(彼の息子ではなく、素性は不明です。孤児院の子供だったのかもしれません。)に接種しました。少年は1週間後に微熱が出ましたが、すぐに下がりました。約6週間後の7月1日に、天然痘を接種しましたが、少年は健康なままでした。

彼は、もう一度実験をしたいと考え、牛痘の患者が出るのを待ちました。2年後にチャンスは訪れました。彼は、孤児院の5才、6才、7才の女の子と11ヶ月、12ヶ月の男の赤ちゃんで実験し、成功しました。

こうして、天然痘の予防に成功した彼は王立協会に論文を送りましたが、「この論文はあなたのこれまでの科学上の名誉を傷つけることになる」と冷たく返されます。しかし、彼はあきらめず、論文を自費出版しました。

ジェンナーは、貧しい人々に無料で1日に300回も種痘を行って成果を上げ、しだいに認められました。1803年には、イギリスにジェンナー協会が作られました。天然痘の死亡者が激減し、瞬く間に種痘は広まっていきました。

こうして多くの感染症の予防接種の出発点となった種痘法が生れました。
天然痘
18世紀のヨーロッパでは100年間に6000万人、1年間に直すと、60万もの人がこの病気によって亡くなったそうです。天然痘は、高熱に引き続いて、全身に化膿性の発疹ができるため、運良く治った人もあばた面になりました。死亡率は10〜20%であったということですから、1年間に数百万人があばた面になったと思われます。(アメリカの初代大統領のワシントンもそのひとりでした)。
以前より、天然痘に一度かかって治った人は、二度とこの病気にならないことが経験的に知られていました。
そこで、子どもに対して、わざとこの病気にかからせるということも行われました。天然痘の膿を皮膚に植えたのです。この方法で天然痘にかからせると多くの場合は、植えた場所とその周辺に痘疱ができるだけの軽い発症にとどまりました。これで、その後に天然痘にはかからない保証が得られるわけですから、天然痘が驚異であった当時のイギリスでは、多くの医者によって行われました。しかし中には、この方法によって全身に痘疱が広がり、防ぐつもりの天然痘によって亡くなる人もあり、さらに、その人から感染が広がるといった悲劇もあったそうです。
ジェンナーが種痘法を開発し、予防接種を最初の人となったことはよく知られています。これにより、人類は、史上初めて疫病の撲滅に成功しました。彼の功績は非常に大きなものですが、なぜか、「彼が自分の子どもで実験した」という話が広まりました。現在出版されている本には、そうでないことがはっきりとかいてあるにもかかわらず、未だにそう信じている人がたくさんいます。それは昔の小学校の「修身」の国定教科書にジェンナーが載っており、そして、明治37年以後のこの教科書には「まず自分の子に牛痘をうえてみた上……」という誤った内容が入っていたのです。これによって日本では、ジェンナーはまず自分の子供で試してみたという伝説が生まれてしまったのです。


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