5月


9日
サー・ジェイムズ・マシュー・バリー(Sir James Matthew Barrie)

(1860〜1937)イギリスの劇作家・小説家。

イギリス・スコットランドの東部、アンガスのキリミューアで生まれました。父は貧しい手織り職人で、子供は10人もいました。家の暮らしは貧しかったのですが、母は子供思いのやさしい頭のいい人で、子供の教育に熱心でした。

彼は、子供の頃から「文学は私の遊戯だ」と考えており、母はたくさんの材料を彼に与え、彼はそれを種にして作品を書いていました。

1882年エディンバラ大学を卒業し、新聞社に勤める傍ら雑誌に寄稿をしたりしていましたが、そのうちに新聞社を辞めて文筆に打ち込むようになりました。当初はあまり成功しませんでしたが、やがて自らの少年時代を素材とした感傷的な小説によって注目されるようになりました。作品ごとに有名になり、1889年にはキップリングと並び称される、新進作家となりました。

1900年頃からは、主に劇作を仕事とし、自作の小説を脚色した「ピーターパン」(1904年初演)によって名声を不動のものにしました。

彼は作家としての功績に対して、1913年、准男爵に任ぜられ、また、1922年には世界中で24人にしか与えられないという、名誉ある有効勲章(Order of Merit)を授けられました。

1929年、彼はピーターパンから生じるすべての権利をロンドンの小児病院に寄付しました。基金はここに端を発し、後に英国とアメリカ、カナダで財団が作られました。日本では1993年、(財)日本児童家庭文化協会内に日本「ピーターパンこども基金」が設立され、同協会が運営にあたられています。

1937年、77歳で亡くなりました。

その他の作品
感傷的で空想的な「親愛なるブルータス」や、上流社会を風刺した「あっぱれクライトン」のほか、「屋敷小路」、「12ポンドの目つき」「メアリ・ロウズ」等

※キプリング(1865〜1936)
イギリスの作家、詩人
ボンベイに生まれ、おもにインドの生活や雰囲気に取材。1907年ノーベル文学賞受賞。詩集「兵営のうた」「七つの海」、小説「ジャングル・ブック」など
幸福の秘訣は自分がやりたいことをするのではなく、
自分がやるべきことを好きになることだ。 byジェームズ・バリー
ピーターパン
(原題英Peter Pan)童話劇。五幕。J=M=バリ作。一九〇四年初演。永久に大人にならない少年ピーター=パンと、人間界の少女ウェンディが中心になって、海賊フック船長らと戦うなど、数々の不思議な冒険をする。
ピーターパン(その2)
この作品から生じるすべての権利をバリーはロンドンの小児病院に寄付しました。基金はここに端を発し、後に英国とアメリカ、カナダで財団が作られました。日本では1993年、(財)日本児童家庭文化協会内に日本「ピーターパンこども基金」が設立され、同協会が運営にあたられています。
ピーターパン(その3)
ピーターパンは何度か筆が加えられましたが、1番元になるのは、1902年の「小さい白い鳥」と言う題で本になったものです。続いて、1906年「ケンジントン公園のピーターパン」と言う題で、また、1911年には「ピーターパンとウェンディー」と言う題で、それぞれ世にでました。
今、ロンドンのケンジントン公園には、笛を吹きながら踊っている、ピーターパンの像が立っています。
あっぱれクライトン
主人公クライトンは古き伝統を誇ったイギリスのさる名家に使える下男である。
イギリスにいる間は、彼は自ら下男に甘んじ、自らを下男として扱ってくれずに対等に付合おうとする主人に不満を持っている。
ところが一家がヨットで航海に出たとき、遭難して島に打ち上げられてしまうとクライトンは島の王様となる
元は名家の御主人様も、島では形なし。みんなでクライトンを崇めたてまつるのだが。
イギリス軍艦が現れると、この王様は、合図を送り、一家は救出され、イギリス社会へ復帰するのである。
哀れか天晴れか、この時クライトンは自ら再び下男となるのである。

   だれひとり 除くことなく
   全ての子供たちが育つこと
   そして なにをするにも
   いつも子供たちが先で
   それから 私たち     ジェームズ・バリー

彼には、子供がなく、公園で遊ぶ子供たちの姿を良く眺めていたそうです。


   トップページに     今日生まれの偉人伝に