4月


23日
上村松園(うえむら しょうえん)1875〜1949 日本画家 (女性) 

京都四条の葉茶屋「ちきり屋」に生まれました。誕生前に父を失い、母の手で育てられました。

小さい時、母にねだって、江戸絵や教えに使う白描を買ってもらい、江戸絵を手本にしたり、白描に色を塗って喜んでいました。小学生の時、京都中の小学校が連合して絵の展覧会を開きましたが、彼女は墨筆で「たばこぼん」の写生を出品して入賞しました。小学校を卒業して、京都画壇の大家だった鈴木松年(しょうねん)から「画学校へ入ってはどうか」といわれて、京都府の画学校に入学して、正式な絵画教育を受け、そのとき松園という号をもらいました。

鈴木松年や竹内栖鳳(せいほう)について絵を学んでいます。16歳の時、松年のすすめで内国勧業博覧会に「四季美人絵図」を出品して、一等褒状を受賞しました。また、この「四季美人図」は、来日中の英国皇太子の目にとまり買い上げられたことから、彼女の名は一躍有名になりました。

25歳の時、日本美術院の展覧会に出品した「花ざかり」は横山大観(たいかん)とならんで銀賞を受賞しています。昭和9年に母が亡くなって以降は、シンプルな線と無駄のない造形、明快な色彩を特色とし、内面的な深みを感じさせる女性像を多く描いています。

美人画家として活躍し「母子」「月雪花」「夕暮」「晩秋」など多くの名作を書き、昭和16年芸術院会員となり、昭和23年には、女性として最初の文化勲章を受章しています。
四季美人図
春は、若い娘が梅と椿を活けている図。夏は絽の着物をまとった島田曲げの娘で、春の娘より、すこし年かさに描かれていた。秋は夏の娘より更に年上で、琵琶を弾じている図。冬は、束髪の女が、雪中、軸物を眺めている図で、四季の移り変わりを、女の年齢的な移ろいに重ねて表現した作品。
松園の母は、娘が芸術の道を志したとき、周囲の反対を「つうさん(松園)が、好きな道やもん」と受け流した。後年、松園は「私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのです」と自伝にしるしています。
また、彼女の士の松年も「物事にこだわらない豪快な中に、しみじみとした人情味があり、弟子を世に送りだそう、だそうとされたところなど、大器のところがありました」と記されているように、「師に入って、師を出でよ」が口癖の立派な師でした。
彼女の芸術は、この二人によって花開くことができたのでしょう。


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