4月


12日
オットー・マイアーホーフ(Meyerhof・Otto)
(1884〜1951)生化学者

彼はドイツのハノーバーに生まれました。ドイツの生化学者で、後半生はアメリカで過しています。フライブルク、ベルリン、シュトラスブルク、ハイデルベルク各大学で医学を修め、1909年、ハイデルベルク大学で学位を取得しました。

初めは心理学、哲学に関心を寄せていましたが、O.ワールブルクの影響を受けて生理学に転じ、キール大学講師となり、筋肉の収縮の際の乳酸生成の機構を研究。1922年にはイギリスのA・ヒルとともに、筋収縮に伴う化学反応の研究で、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

その後、ハイデルベルクのカイザー・ウィルヘルム医学研究所所長となります。1934年解糖作用の機構を研究し、反応経路を解明。これは、今日エムデン=マイアーホーフ経路として知られています。また、解糖や発酵においてアデノシン三リン酸が果す役割も明らかにしました。ナチスのためにドイツを追われてパリに移り、ドイツのフランス侵入後はアメリカに逃れ、ペンシルバニア大学生理化学部の研究教授となりました。1951年フィラデルフィアで亡くなりました。

しかし、彼の本当の功績は、優れた学者を育てたことで、弟子のなかから、S.オチョア、G.ウォルド、K.ローマンらすぐれた生化学者が輩出しました。彼は非常に魅力ある人物で、自然科学だけでなく、古典の知識、芸術への理解もあり、自宅で開かれるパーティでの会話は非常に楽しかったと伝えられています。
彼は、筋収縮のエネルギー源の研究をし、乳酸学説を提唱しノーベル賞を受賞ています。彼は「筋肉の乳酸はグリコーゲンに由来し、その生成は筋肉の聴力発生と比例する。酸素中では生成した乳酸のわずか、1/5か1/6が酸化され、残りはグリコーゲンに戻る。」としました。しかし、1930年にルンズゴールによって「モノヨード酢酸をカエルの筋肉に加えると、乳酸生成は全く起こらない。それでも、電気刺激すると、酸素存在下では収縮がずっと続く。窒素下では、70回ほど収縮した後、応答が無くなる。」という事実が示され、マイヤーホフ自身によって乳酸学説は撤回されています。


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