4月


10日
ジョセフ・ピュリッツァー(Joseph Pulitzer)(1847〜1911)アメリカ ジャーナリスト 新聞経営者

ハンガリーのブタペスト近郊に生まれましたが、南北戦争中のアメリカに渡り、リンカーン騎兵隊に参加し、1867年アメリカに帰化しました。

1868年に、セントルイスで、ドイツ語新聞「ベストリッヘ・ポスト」にレポーターとして入り、市政の腐敗暴露、面白いニュースの報道に活躍します。1878年、破産して競売に出されていた「セント・ルイス・ディスパッチ」紙を買い、J・A・ディロン経営の「セント・ルイス・ポスト」紙と合併させ夕刊紙「ポスト・ディスパッチ」の編集・経営にあたり、民衆の味方として汚職、大企業の不正に対するキャンペーンを繰り返し、新しいジャーナリズム手法を試みながら、同市の指導的新聞としました。

1983年にはニューヨークの新聞「ワールド」紙を34万6000ドルでJ・グールド氏から買い、モルガンなど巨大企業の専横に対する攻撃、「自由の女神」の台座作りの10万ドル基金キャンペーンなどで、巨大な部数と影響力をもつ新聞を作り上げ、全米の新聞構造を大きく変える端緒を作りました。

移民として多くの辛酸をなめた彼は、素朴にデモクラシーの理念を信じ、社会正義の実現を願っていました。けれども、W・ハーストの『ニューヨーク・ジャーナル』紙との競争は、センセーショナリズムを助長し、激しい販売競争を展開して、扇動的な報道の代名詞としてイェロー・ジャーナリズムという言葉を生みました。そして、あらゆるものをニュース化すると共に、広告費で支えられる巨大な新聞産業を作り上げました。

1890年に引退を声明、特別製のヨットで療養生活を続けましたが、死ぬまで編集スタッフへの方針支持はやめなかったといわれています。

彼は、新聞記者の向上を願って、1903年、ジャーナリズム学部設立のために、コロンビア大学に100万ドルを寄贈しています。寄付金の一部によってのちにピュリッツァー賞が設立されました。
南北戦争
1861年から65年までアメリカ合衆国の南部と北部との間で行われた内戦。奴隷制・関税問題をめぐり北部商工業者と南部綿花栽培業者の対立が激化し、南部11州がアメリカ南部連合を結成、リンカーン大統領がこれに抗し開戦。1863年のリンカーンの奴隷解放宣言、ゲティスバーグの戦いを経て、65年4月南軍の降伏で戦争は終結。この結果、奴隷解放が実現し、アメリカの統一は回復した。
ピュリッツァー賞
ピュリッツァーの遺志により、一九一七年に創設された文化賞。新聞(論説・ニュースなど八部門)、文学(小説・演劇など五部門)、音楽の各分野で、その年のすぐれた業績(大衆に推奨できるアメリカ人の作品)に贈られる賞。歴史ある文化賞である。

4月


10日
淀川長治(よどがわ ながはる)

1909〜1998

「ウエルカム・トラブル、苦労来たれ、苦労が人間を強くするんだ。悲しいなぁ辛いなぁと泣いたことがある人が偉いんだ」

映画評論家

神戸市の三大芸者置屋淀川屋の息子として生まれました。彼の父はもう60歳を過ぎていましたが、借金のかたに、先妻の妹の娘を借金のかたに妻としていたそうです。

父は、いわゆる放蕩息子でしょっちゅう色町に通っていましたが、家族全員が活動写真(映画)好きで、なんと、彼の母は活動写真の小屋の中で産気づいたといわれています。

生まれるときから、活動写真に関わりをもっていた彼は、成長するにつれて、ますます映画にのめりこみ、小学校では、映画好き友人の友人と映画の話ばかりしていました。

ところが淀川家にあいついで不幸がおこります。まず、関東大震災が起こり、世の中は活動写真どころではなくなります。さらに、父が慣れない株に手を出して淀屋は破産してしまい、姉二人は家出して、弟は突然自殺してしまったのです。

すでに映画の宣伝文を書くアルバイトして家計を助けていた彼は、神戸三中卒業後、大好きな映画といつも一緒にいるために、東京へ出て「映画世界」編集者になりました。その後、ユナイテッド・アーチスツ日本支社宣伝部、東宝宣伝部を経て、「映画の友」編集長などをつとめ、のちフリーとなって評論活動を続けました。特にテレビ朝日の「日曜洋画劇場」では番組開始から30年以上も解説者を続けました。

彼は、映画を愛し、一生映画と関わっていたいと神様に願をかけ、そのため、生涯独身で通したということです。黒澤監督が亡くなった2ヶ月後の1998年11月11日に亡くなりました。89歳でした。
「イランがどこにあるのか調べるといい。各国各地の映画が国境を越えて訪れて、“人間”は同じということを知る。これほど平和を生むものは他にはない」

「友だちのうちはどこ?」というイラン映画のコメント
「私は未だかって嫌いな人にあったことがない。好きになることがどんなに人を助けるか私は知っている」


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