4月


3日
ヘムルート・コール(Kohl,Helmut)(1930〜)ドイツ 政治家

ライン中流左岸の中級工業都市ルートヴィヒスハーフェンに生まれました。17歳でCDU(キリスト教民主同盟)に入党、このとき「僕は将来CDUの党首になるつもりだ」と発言して周囲を驚かせています。20歳でアビトウア(大学進学試験)に合格し、ハイデルベルク大学に入学、政治学と歴史の講義を受講しました。又、フランクフルト、ボンにも遊学して28歳で哲学専攻の学位を受けています。卒業論文の題目は「敗戦で崩壊したドイツ政党の回復」でした。

その後、1959年ラインラント・ファルツ州議会議員。 1969年同州首相に選出され、同時にキリスト教民主同盟副党首に就任しました。 その後、1973年、R.バルツェル党首の後任に選ばれたのです。

彼は、当初ラインラント・ファルツという小さな州で活躍していたために、内外にあまり存在を知られていませんでしたが、党首就任後は中道路線を表明し、次第に人気を集めていきました。1982年の総選挙で議席を大幅に伸ばし、社会民主党(SPD)と連立政権を組んでいた自由民主党(FDP)との連立工作に成功して、首相に就任しました。

1989年11月の「ベルリンの壁」崩壊後の東西ドイツ統一にイニシアチブを発揮し、1990年10月3日にはドイツ統一の偉業を達成したのです。

その後、欧州統合の旗手として活躍、16年の長きにわたって長期政権を保ちましたが、1998年の総選挙でシュレーダー率いる社会民主党に敗れ退陣しています。同年12月ヨーロッパ連合(EU)の会議で欧州統合の功績をたたえ「ヨーロッパ名誉市民」の称号を贈られました。


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