4月


2日
ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen )
(1805〜1875)デンマーク 童話作家

フューエン島のオーデンセに生まれました。父はまずしい靴職人でしたが、子どもの彼に、よく「千一夜物語」などの話を読んで聞かせていました。

彼は父から詩的才能を、祖母からは空想を、母からは信仰心をうけついで成長しました。貧しくも、あたたかい家庭の中で彼は少年時代を過ごしました。しかし、1812年に父は、兵役を逃れようとする富農の息子にかわって、お金と引き換えに出兵してしまいます(7年戦争)。終戦後、心も体もぼろぼろになって帰ってきた父は病気となり、33歳の若さで亡くなってしまいました。

その後、彼は堅信礼を済ますとコペンハーゲンに出て歌手、俳優を志しますが失敗。しかし、王立劇場支配人コリンの援助でスラーゲルセの高校に入学。続いて、貧しい暮らしの中からコペンハーゲン大学を卒業し、イタリアに旅行して、そのときの印象と体験をもとにして、1835年に「即興詩人」を書き、一躍有名になっていきます。

同じ年に最初の「童話集」を出し、それからは毎年クリスマスには、彼の「童話集」は、各家庭で待たれるようになりました。その童話には、美しい幻想の世界と、あたたかい思いやりの心が描かれていたのです。

「絵のない絵本」「親ゆび姫」「みにくいあひるの子」「赤い靴」など、多くの傑作童話は人類の宝とさえいわれ、童話の父として今も世界中の子ども達に親しまれています。また、自叙伝「わが生涯の物語」は自伝文学の名作といわれています。

彼は、一生を、旅から旅に過ごし、家庭は持ちませんでした。

彼の誕生日は「子供の本の日」となっています。
1837年 『人魚姫』を出版。アンデルセンの童話の中でも最高の傑作で、決定的な名声を得る。この作品は、長年思いを寄せていた女性が他の男性と結婚し、彼が大失恋したことがきっかけで生まれたそうです。
1840年スウェーデンの歌姫ジェニー・リンドと出会い、「スウェーデンのナイチンゲール」と呼ばれ、ヨーロッパ全土にその名を響かせていたオペラ歌手ジェニー・リンドを心から熱愛し、熱心な求愛をするが、彼女は作曲家メンデルスゾーンを愛していたので、生涯独身だった。
他の多くの偉人達がそうであるように、彼の家庭も貧しく、幼いころは相当な苦労をしています。靴職人のギルドに入れず、日雇いの仕事しかない父、私生児として生まれ、幼いときから物乞いをしながら、生きてきた母、けれども、二人はようやくつかんだこの幸せな家庭を守ろうと、必死で生きていきます。

母は、家をよく磨き、子どもにもいつもさっぱりとした衣類を着せ、カーテンは雪のように真っ白だったそうです。

父親も子どもには、自分とは違った道(人生)を歩ませたいと思っていたのか「この子のしたいということは、たとえそれがどんなにばかげたことでも好きなようにさせてやってくれ」と語ったとも伝えられています。

そして、アンデルセンはその少年時代を振り返って、このような言葉を残しています。

「私の少年時代は一遍の美しい物語であった。物は無くても人は幸せになれる」

4月


2日
エミール・ゾラ

(1840〜1902)

フランスの小説家

パリで生まれましたが、7歳の時に父を失い、家族は貧困に苦しみました。高等理工科学校の入学試験に失敗したこともあり、学業をあきらめ書店に勤めながら文学の勉強を続けました。

ロマン派の詩人にあこがれて屋根裏部屋に住み長詩を書いていましたが、フローベルやゴンクール兄弟らの自然主義文学の影響を受け1867年に「テレーズ・ラカン」によって自然主義作家としてみとめられるようになりました。

その後は、写実主義を発展させ、生理学者クロード・ベルナールの実験科学の方法を文学に取入れることにより、実験小説と言う理論を考え出し、社会や人生の姿をありのままにえがき出そうとしました。そして、この理論に基づいて「ルーゴン・マカール叢書」と呼ばれる作品群を生み出しました。

これは、一方に神経症、他方にアルコール中毒という2つの素質をもったルーゴン家とマッカール家の子孫が、遺伝や環境によって支配されながら、フランス社会を生きていく様子を描いたもので、その中には「ナナ」「居酒屋」「大地」「ジェルミナール」などの傑作があります。

また、ドレフュス事件におけるように、一貫して反体制の姿勢を堅持し、「私は弾劾する」という論文を書いて政府を非難した文学者でもあります。
ドレフェス事件
ユダヤ系のドレフュス大尉が、ドイツに情報を売ったとして終身流刑に処せられた時、真犯人がいることがわかったにもかかわらず、軍の威信と反ユダヤ感情などのため、彼の無実を認めようとしなかった事件で、国を二分して争う大事件となった。
彼とセザンヌとは、中学校時代以来の親友で、お互いに励ましあい、作品を交換しあってもいたそうです。しかし、彼は、絵のことは、あまりわからず、なんと、セザンヌをモデルにして失敗した画家を主人公とした小説を発表したのです。ゾラから小説を贈られたセザンヌは、一読して自分のことだとわかり激怒したといわれています。


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