4月


1日
親鸞(しんらん)1173〜1262

浄土真宗を開いた、鎌倉時代の僧。

日野有範(ありのり)の子として京都に生まれました。9歳の時、青蓮院の慈円について出家して、20年間比叡山で修行したのち、山を下って法然(ほうねん)について教えを受け念仏に励みましたが、おりから奈良や比叡山の僧たちの反対にあって、建永二年(1207年)の念仏停止の際、法然は土佐(高知県)に、親鸞は越後(新潟県)に流されてしまいました。

この流罪の地で恵信尼と結婚し、日本で初めて公然と結婚した僧となりました。2人の間には善鸞・覚信尼が生まれています。

のち、ゆるされて浄土真宗を開き、関東で教えを広めました。「南無阿弥陀仏」と、念仏をとなえることによって極楽往生ができると説き、人々の心の救いに大きな力となりました。

その教えは、貧しく苦しい生活をしている農民の間に、ますますひろがりました。晩年に京都へ帰り、京都で亡くなりました。門下に真仏・性信・唯円など。

又、「教行信証」「浄土文類聚鈔」「愚禿鈔」「唯信鈔文意」などの多くの著書があります。なかでも「善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」という、有名な言葉は親鸞の思想をよくあらわしています。
浄土真宗
浄土宗の分派で、親鸞の創始。阿弥陀仏の本願他力の回向(えこう)によって往生すると説くもので、法然が念仏を根本とするのに対して信心のみで往生できるとする。親鸞の没後、本願寺派・大谷派・高田派・仏光寺派・興正派・木辺派・三門徒派・山元派・誠照寺派・出雲路派の一〇派に分かれた。また、僧は妻帯を許された。真宗。一向宗。門徒宗。

南無阿弥陀仏
梵語の音訳で、「帰命無量光覚」と訳す。仏語。阿弥陀仏に帰依することを表すことば。浄土の信仰者は等しくこれを称えて極楽浄土を願う。真宗ではこれを六字名号といい、仏名とし、これを本尊とする。

善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや。
「善人でさえも阿弥陀浄土に往生できる。悪人は最も救済が必要なものである故に、阿弥陀如来様の本願からすれば、まっさきに阿弥陀浄土に往生できる存在である。」彼は阿弥陀様が真っ先に救うのは徳を積んだ修行者よりもむしろ迷いの多い者であるとした悪人正機説も唱えています。
親鸞は、抗争に明け暮れる比叡山の姿に失望し、山を降りて29歳の時、京都六角堂に篭り百日の参篭をします。そして、この95日目に彼は夢を見ます。彼の夢記にはこう書かれています。

六角堂の救世大菩薩、顔容端政の僧形を示現して、白柄の御袈裟を服著せしめて、広大の白蓮に端座して、善信(親鸞の当時の名前)に告命して言はく。行者宿報にて設ひ女犯すとも我れ玉女の身となりて犯せられむ。一生の間、能く荘厳して、臨終に引導して極楽に生ぜしめむ。

この夢が後の親鸞の性に関する思想のベースになったとされます。

その後、流罪の地で彼は恵信尼と結婚し、日本で初めて公然と結婚した僧となります。それまでも事実上結婚している僧は多かったのですが、親鸞においてはそれは正しいという理論的な背景をもとに公然と断行したことが評価されています。そして親鸞にとって恵信尼は六角堂の夢で見た観音様の化身に等しい存在であったともいわれています。
親鸞の弟子たちも全国各地で活動を行いますが、やがて室町時代に上述蓮如が出て本願寺を真宗の中心にし、現在まで至る真宗教団の基礎的な組織作りを行います。やがてこの強大な教団はその力を恐れた信長や家康らに弾圧され、東西本願寺の分割などの宗派分断策にあうことになります。現在真宗は本願寺派・大谷派・高田派・仏光寺派・木辺派・興正派・出雲路派・山元派・誠照寺派・三門徒派の10派に分かれています。むろんその中でも多くの信者を抱えているのは、東本願寺を本山とする大谷派と西本願寺を本山とする本願寺派です。

エイプリルフールの由来には多くの説があります。有名なものを列挙してみました
インターネットで集めたものなので、もしかしたら、この中にも・・・










キリストが生前にユダヤ人に愚弄された故事を忘れないための行事とする説。
昔々、キリストが4月の初めに、ユダヤ教の祭司長アンナスから、これまた祭司長のカヤバのところへ、そこから今度はユダヤの総督ピラト、ピラトからヘロデ王、ヘロデ王からもう1度ピラトのところにたらい回しにされました。彼がこのように愚弄されたことを忘れないための行事として、4月1日には人をだまして無駄なお使いをさせたり,あちこち無駄に奔走させる風習が生まれたという説です。
「新年のお祭りの名残」説
昔は春分が1年の始まりとされていて、新年のお祭りの最終日である4月1日に、贈り物のやりとりを行う風習がありました。ところが1564年にフランスのシャルル9世が新暦を採用。これにより1月1日が新年となってしまいました。これを不満に思う人々が、暦が変更されても4月1日に新年の宴会をしたり、でたらめなプレゼントを贈りあったりしていました。それがヨーロッパ各地に広がって、現在のエイプリル・フールとなったという説です。
東洋が起源だとする説。
インドでは春分から1週間,仏教の説法が行われますが、信者たちはその期間が過ぎると再び迷いの世界に戻ってしまいます。せっかく座禅を組んだりして修行しても、まったく無駄だったことを笑う意味で、この期間があけた日を「揶揄節」と呼び、人に無駄なことをさせてからかったということから、これが、エイプリルフールになったという説です。
ノアの箱船が起源であるという説。
ノアは洪水がおさまって来た頃、どこかに陸地はないだろうかと鳩をとばしますが、鳩は水のない所を見つけることができず無駄足をふまされて、結局ノアの所に戻ってきます。[旧約聖書創世記8章6-9]これが伝説では4月1日のことだったとして、この日には無駄なことをさせられるのだというのが一つの説です。
古代ローマの祭りが起源であるという説。
ローマではこの日だけは、主人が奴隷に仕え、道化師が聖職者になり、といった逆さまのどんちゃん騒ぎが行われたといいます。いつもなら身分の一番高い人が座る席に道化(FOOL)を座らせて無礼講の君主(The lord of Misrule)としたことから、Foolの日ということになったのだというのがもう一つの説です。
ちなみにフランスでは、かつがれた者は「4月馬鹿」と呼ばれるかわりに「4月の魚」(ポアッソン・ダヴリル=鯖)という。これは4月によく釣られる馬鹿魚と言う意味だそうです。

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