3月


28日
マクシム・ゴーリキー(Maksim Gor’kij)(1868〜1936)ロシア 小説家 劇作家
ニジニー=ノヴゴロド(のちにゴーリキー市に改称)の指物師の家に生まれ、幼いときに両親を失ったため、小学校を中途で止めて働きに出ました。靴屋に奉公し、製図師の徒弟、汽船のコック見習い、パン職人などになり、働きながら独学を続けました。

コーカサスの都市チフリスの鉄道工場で働いている時に最初の小説「マカール・チュードラ」を書き、それから、創作活動を続けました。革命に参加したため投獄され、イタリアのカプリ島に亡命したこともありましたが、トルストイ、チェホフに続く作家として大衆の苦悩と革命への確信を描き、ロシア文学の発展に大きな足跡を残しました。

彼の創作活動を高く評価した帝政ロシア学士院は、1902年、彼を名誉会員に推薦しますが、ニコライ二世がこれを拒否。それに憤慨したチェーホフとコロレンコが自ら名誉会員を辞退しています。

つづく『どん底』(1902)、『太陽の子』(1905)、長編『母』に至るなかでプロレタリア文学を確立し、レーニンにも絶賛されています。ロシア第一革命(1905)ののち国外に亡命していましたが、三月革命(1917)で帰国。肺結核の悪化のためイタリアに移り、帰国後、「ソヴィエト作家同盟」を結成し初代議長に選ばれますが(1934)、まもなくモスクワにて死亡しました。
「どん底」
戯曲。四幕。1902年発表、同年モスクワ芸術座初演。帝政ロシア時代の木賃宿にうごめく、社会の下層部の人々の生活を描く。
「母」
長編小説。1906年成立。無知と忍従に生きてきた一人の母親が、革命運動に情熱を傾ける息子を通じて、社会変革の意識にめざめていく過程を描き、小説上の社会主義リアリズムへの道を開いた。
ロシア革命
1917年3月(露暦2月)、ロマノフ家を倒し、同年11月(露暦10月)、ソビエト政権を成立させたロシアの革命。広くは1905年の革命を第一次革命とし、1917年の革命を第二次革命とする。第一次革命は、1905年1月の血の日曜日事件を端緒に、6月の黒海艦隊の反乱で最高潮に達したが、日露戦争の中止、国会(ドゥーマ)開設の勅令発布で収拾され、12月のモスクワの武装蜂起失敗で退潮に向かい、翌年の国会開設、ストルイピンの反動時代となる。第二次革命は、第一次世界大戦の敗北と社会不安により、1917年3月、ブルジョア勢力を主体とする帝政が打倒されてケレンスキーの臨時政府が成立する(二月革命)。さらに11月レーニンの指揮下ボルシェビキが蜂起してケレンスキー政権を倒し、ソビエト政権が成立して世界最初の社会主義革命が成り(十月革命)、ドイツと講和を結んだ。

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