3月


18日
ルドルフ・ディーゼル(1858〜1913)ドイツ 機械技術者 ディーゼルエンジンの発明者

 パリに生まれますが、普仏戦争のため両親共々イギリスに移住、その後叔父を頼ってドイツに渡り、アウクスブルクの工業学校、次いでミュンヘン工科大学で学んでいます。

 大学では、リンデの機械学、熱機関の講義にひかれ、熱効率の高い機関の実現に関心を持ち、1880年大学を卒業した後、パリのリンデ製氷機工場で冷凍機の製作や高圧機械、熱機関の研究に携わり、蒸気の代わりにアンモニアを使う機関の発想(1899年のパリ万博で呈示)を経て、92年にディーゼルエンジンの最初の特許を得ました。

 翌年(蒸気機関や従来の内燃機関に代わる合理的な熱機関の理論及び構造)を著し、ディーゼルエンジンの理論的考察を発表、同年2回目の特許を得ました。以後、クルップ商会とアウクスブルク機械製作所と共同で実験と開発が進められ、94年、初めて安定したディーゼルエンジンの運転に成功しました。

 96年には商業用機関として工場用動力に用いられるようになり、潜水艦の機関にも利用されました。さらに1912年には最初の大型船舶機関として、セランティア号(7400トン)に1250馬力のディーゼルエンジン2台が搭載され、ディーゼル船時代が開かれました。

 このような背景のもとディーゼルの名声は高まりましたが、1913年イギリスへ渡る途中の船から姿を消してしまいます。イギリス海峡に投身自殺したものとされています。
ルドルフ・ディーゼルが開発した圧縮発火型エンジンは植物油で稼働しました。ディーゼルは、大資本と大がかりな装置が必要でそのくせ燃費の悪い蒸気エンジンが企業家に独占されている状態を懸念し、小農民や職人たちが地元で生産できる原料から地域で製造できる燃料を使って無駄なく出力する機関としてディーゼルエンジンを開発したのです。ディーゼルエンジンはもともと「適正技術(appropriate technology)」と呼ばれる、地域と人々の自立のための出力機関として、燃料には地域で生産でき再生可能な植物油を使うことを念頭に開発された物であったのです。
普仏戦争
1870〜71年のプロイセンとフランスの戦争。ビスマルクの巧妙な策略によりプロイセンが連戦連勝した。フランスは賠償金を支払い、アルザス・ロレーヌ地方の大部分を割譲することになる。パリ開城直前、ベルサイユでドイツ帝国成立が宣された。これによりドイツは統一を完成し、フランスは第二帝政が消滅、第三共和政が成立した。
ディーゼルエンジン
重油または軽油を燃料とする内燃機関で、圧縮着火(圧縮することにより温度を高め、その熱によって着火させる)によって往復運動を行うもの。

昨日はガソリンエンジン今日はディーゼルエンジン、誕生日というのは本当に不思議なものですね。
1965年のこの日、人類初の宇宙遊泳が行われました。

   トップページに     今日生まれの偉人伝に