3月


11日
和辻哲郎(1889〜1960)哲学者

 明治22年、市川の西にある神崎郡砥堀村仁豊野(現姫路市仁豊野)の農村に生まれました。幼少から神童と呼ばれ、高等小学校2年で姫路中学に合格します。学校ではスポーツに熱中すると共に、文芸にも傾倒し、東京帝国大学文科哲学科へ進みました。後、第2次「新思潮」創刊に参加。谷崎潤一郎ら作家と交流を深め、夏目漱石の門下にも入りますが、やがて文学からは遠ざかり、哲学の道を歩むことになります。
 卒業後、ニーチェやキェルケゴールの研究をし、東洋大学、法政大学、慶応大学教授を経て西田幾多郎に招かれて、京都大学教授となり、倫理学を担当しました。その後、ドイツに留学、1934年(昭和9年)東京大学教授となり、1949年(昭和24年)定年退職しました。同年、学士院会員となり、1955年(昭和30年)文化勲章を受けています。
 哲学者としての哲郎は主として倫理学の方面に大きな業績を挙げました。戦前の代表作『風土』や『人間の学としての倫理学』などには、人間が育ち、暮らす土地、(ふるさと)と、人と人との間柄こそ倫理であると解き、独特の和辻倫理学をあみだした。晩年に書かれた「自叙伝の試み」、その中の『私の生まれた村』『私の生まれた家』『村の子』などにはそうした市川に沿った西播磨の農村・仁豊野の様子、自己形成の原風景がいきいきと描かれています。その意味で、西播磨の風土こそ、和辻哲学の原点になっています。
 西洋哲学、仏教、美術、日本思想史などの分野でも「風土」「古寺巡礼」をはじめ、多くの著書を残し、その博学ぶりを示しました。
 「古寺巡礼」は大正七年、友人夫妻と一緒に奈良の古寺を巡り歩く旅をし、その印象を書き留めたものが下敷きになっています。また「自叙伝の試み」は、文学的香りも高い郷土史でもあります。
古寺巡礼紹介

この書は、29歳の和辻が、芸術的情熱とあくなき美の希求に突き動かされて仏像・仏画と対面した、その精神の記録である。29歳の和辻の心に訴えかけたのは、教義としての仏教ではなく、仏像にこめられたその時代の人々の思いである。一途な思いが生み出した美そのものである。しかし、そこに、宗教的情熱に限りなく近いものを感じるのも事実である。ひたぶるの信仰は、教義によるのではなく、美をもとめる姿勢の中にあるのかもしれない。和辻が言うように、この書には情熱が溢れている。

和辻はこう書き記す。

  久しぶりに帰省して親兄弟の中で一夜を過ごしたが…昨夜父はこう言った。
 お前のやっていることは道のためにどれだけ役に立つのか、頽廃した世道人心を救うのにどれだけ貢献することができるのか。この問いには返事ができなかった。…父は道を守ることに強い情熱を持った人である。…その不肖の息子は絶えず生活をフラフラさせてわき道にばかりそれている。このごろは自分ながらその動揺に愛想がつきかかっている時であるだけに、父の言葉はひどくこたえた。

  …実をいうと古美術の研究は自分にはわき道だと思われる。…それは自分の中心の欲求を満足させる仕事ではないのである。自分の興味は確かに燃えているが、しかしそれを唯一の仕事とするほどに、――もしくは第一の仕事とするほどに、腹が座っているわけではない。

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