3月


8日
オットー・ハーン(1879〜1968)ドイツ 化学者

 フランクフルトに生まれ、若い頃から科学に興味をもち、マーブルク大学のチンケに化学を学びました。兵役に従事した後、チンケ研究室に戻り、有機化学の研究を行います。

1904年ロンドンに渡り、W.ラムゼーの指導で、放射性物質に興味を持ち、翌年、モントリオールの、E.ラザフォードの研究室に移り、更に翌年、ベルリン大学のE.フィッシャーの元で、放射性物質の単離の研究を続けました。

この間、ラジオトリウム、ラジオアクチニウム、メソトリウムを発見。1912年、カイザー・ウィルヘルム化学研究所の主任研究員となり、リーゼ・マイトナー(女性)と共に、1917年、新しい同位元素プロトアクチニウムを発見しました。

その間、第一次大戦中は、毒ガスの軍事使用に関する、技術的研究開発にも従事していました。戦後1921年、最初の核異性体の例(ウラニウムZ)を発見。又、1938年には、中性子をあてることによりウランに核分裂が起きることを発見し、核分裂生成物を最初に科学的に紹介しました。1944年に、ノーベル化学賞を受賞しています。

ドイツの敗戦により1946年春までイギリスに抑留されましたが、同年帰国後再建されたカイザー・ウィルヘルム協会の総裁に就任。以後1960年までその職について、ドイツの化学の興隆に努力します。

又、抑留中、広島、長崎の原爆投下による惨状を知り、強い衝撃を受け、ドイツの核武装に反対し、核戦争防止のために、マイナウ宣言やゲッティンゲン宣言などの中心メンバーとして活躍。核兵器の使用に反対する科学者の運動にも、重要な役割を果たしました。

彼の業績を記念し、ハーン・マイトナー研究所、原子力商船オットー・ハーン号、105番元素ハーニウムに彼の名が残されています。
ハーンは、核分裂の発見を発表することを躊躇した。結果はボーアに伝えられ、ボーアはアインシュタインと論議した。ナチスが原爆を製造する前に成功させるようアインシュタインは大統領と連絡を取り、原子爆弾製造研究が始まった。

シラードが書いてアインシュタインが署名した大統領宛親書は、次のような内容であった。
・ごく近い将来、ウランの核分裂を利用して膨大なエネルギーを発生させられるようになる。
・この現象を利用して、きわめて強力な爆弾を製造できる。
・こうした状況からして、信頼できる者に非公式に次の仕事をまかせるべきである。
・政府各省庁に対して、情報提供や適切な勧告を行う。
・民間人や企業と連絡をとり、資金や施設の提供を求める。
・ドイツはすでに核開発に動き出している。

この親書により、アメリカの原子爆弾製造研究が始まったのである。
核分裂の発見
核エネルギーが人工的に利用できる可能性が拓かれてから、世界中でこの方向で研究が進められるようになります。特に、フェルミに率いられたイタリアのグループと、ドイツにいたハーンとマイトナー(彼女は、イレーヌ・キュリーとともに、原子核の分野に決定的な貢献をした女性科学者の一人である)が、研究をリードしていました。

1938年に、ハーンは、どうしても乗り越えられない問題に直面する。ウランに中性子を照射して生成されたラジウムの同位元素らしき物質を化学的に分析していたところ、どうしてもバリウムと区別できなかったのです。バリウムはウランの半分以下の大きさしか持たない。そんなことがあり得るのだろうか。ハーンは、ナチスのユダヤ人狩りを逃れてスウェーデンの寒村に亡命していたマイトナーに連絡をとりながら、研究を続けました。
その後、ハーンは、新しい生成物はラジウムではなく、むしろバリウムそのものであると言わざるを得ないと確信し、論文を発表。
この論文をハーンから送られたマイトナーは、たまたま逗留していた甥の物理学者フリッシュとともに、ウランが分裂する可能性を考えました。そして、よく知られたアインシュタインの関係式
   E=mc2 (エネルギー=質量×光速の2乗)
を当てはめれば、核分裂が大量のエネルギーを放出する過程として実現可能であることを見いだしました。ウランの原子核は、まるで細胞分裂(fission)のような形で2つに分かれるのである。マイトナーは、この結果を直ちにハーンに書き送り、さらに、続く手紙にこう記します。
 「私はいま、あなたが本当に(ウランが)バリウムに破裂することを発見したと確信するようになりました。これはすばらしい結果です。あなたとシュトラスマンに心からおめでとうと言います。いまやあなたの眼前には広々として美しい仕事の領域が開けています。そして、どうか私を信じてください。私はこの地に手ぶらでおりますけれど、このすばらしい発見の知らせを受けたことをとてもうれしく思っています(1939年1月3日)
 (手紙の引用は、C.ケルナー著『核分裂を発見した人−−リーゼマイトナーの生涯』(晶文社)から)

 実験設備もろくにない片田舎に蟄居させられているマイトナーのさまざまな思いを、ここから読みとることができます。しかしまた、彼女が信じた「広々として美しい仕事の領域」が、実は、原爆開発そのものであったことに思いをいたすとき、歴史の残酷さを痛感せざるを得ません。
ラザフォード(1871〜1937)
 ニュージーランド生まれのイギリスの物理学者。
 放射性物質を研究、α・β・γ線を発見、また原子崩壊の法則を確立した。

プロトアクチニューム
 天然放射性元素の一つ。記号は Pa 原子番号91。質量数226〜235、2
 37のものが知られ、天然には231ほか二種の同位体がある。アクチニド元
 素の一つで周期表第V族に属す。

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