1月


24日
ピエール・オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシェ

(1732〜1799)

フランスの劇作家、発明家、音楽教師、国王秘書従士、裁判官、事業家、スパイ、
武器商人、著作権獲得運動家、出版者、投資家・・・etc

パリの時計師の息子として生まれました。父の仕事を継いで時計製作者としての腕を磨き、21歳の時、当時流行していた時計の速度(ゼンマイ)調節装置を発明し、それを利用して小型の腕時計を作っています。

音楽の才能もあった彼は、時計を献上したルイ15世の3人の娘達にハープを教えるようになり、宮廷に出入りするようになります。やがて、貴族に憧れ、財政家と手を結び、王の秘書官と狩猟官の役を金で買い貴族となりました。1856年宮廷官吏の未亡人と結婚し、妻の所有領であるボーマルシェを名前とするようになりました。

その後、彼は、オペラ、フィガロ三部作(セビリアの理髪師、フィガロの結婚、罪ある母)を書いたことで有名になります。(作曲はロッシーニ、モーツァルト、ミヨー)従来は、脇役に甘んじていた下僕(フィガロ)や侍女がその知略により主人公を圧倒する点で、特権階級の圧制に苦しんだ第三身分の主張を代弁しており、又、迅速で巧みな筋の運びで、大衆の間に爆発的にヒットし、フランス革命に至る一つのきっかけとなったとも言われています。

彼の名を後世に残した文学ですが、彼にとって文学は余暇に過ぎませんでした。彼は、活動的かつ利欲心旺盛で、女性に持てた美男子でしたが、同時に一片の正義心、侠気を持っておりフィガロは彼の性格そのままでした。

例えば、1775年、アメリカの独立運動が始まると独立軍を援助し、武器の調達をしたり、パリで水道事業を起こしたり、法的に確立していなかった著作権を認めさせ、文芸協会を設立しています。又、81年から私財をなげうちボルテールの全集(ケール版)を刊行する等、様々な功績もあります。その上、訴訟、入獄、亡命までも経験しているのです。
ボーマルシェの行ったことの一部
  劇作家 オペラ、フィガロ三部作(セビリアの理髪師、フィガロの結婚、罪ある母)を書いた。
  発明家 時計の速度(ゼンマイ)調節装置を発明、それを利用して小型の腕時計を作る。
  音楽教師 ルイ15世の3人の娘達にハープを教えた。
  国王秘書従士 その地位を金で買った。
  狩猟官 その地位を金で買った。
  スパイ 単身イギリスに渡って機密文書の獲得に奔走した。
  武器商人 アメリカの独立運動で独立軍を援助し、武器の調達をした。
  事業家 パリで水道事業を起こした。
  著作権獲得運動家 著作権を認めさせた。
  出版者 私財をなげうちボルテールの全集(ケール版)を刊行した。


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