1月


18日
シャルル・モンテスキュー(1689〜1755)

「人類を愛することは神を愛することである」

フランス 法学者、文学者、啓蒙思想家

南西フランスのボルドー近郊のラ・ブレードで生まれました。ボルドーの近くのラ・ブレードで生まれ、法律を学び、ボルドー高等法院の判事、後、法院長を務めました。

彼は、人文学者でもあり、ボルドー=アカデミー会員にもなりました、司法官を辞めた後、気のおもむくままに学究生活に入り、ヨーロッパ各地を旅行、イギリスの議会制度、政治思想をフランスに紹介しました。

1721年「ペルシャ人の手紙」を匿名でをアムステルダムで刊行し、フランスの風俗、制度を鋭く批判しました。この本で、一躍著名人になった彼は、1734年には「ローマ人盛衰原因論」を出版し、その後「法の精神」の執筆に没頭しました。

そして1748年、20年を費やしてまとめた「法の精神」を匿名で発表しました。彼は、立法、司法、行政が分立するイギリスの立憲制度を理想とし、世界各国、各時代の法を貫く精神を探求、奴隷制や拷問を批難しました。三権分立主義は近代民主国家において採用され、とくに、アメリカの憲法は、その典型です。また、フランス革命にも大きな影響を与えました。
「法の精神」
この本は、政治への腐敗堕落の防止と、政治的自由の実現とを中心テーマでした。出版当時のフランスは、ルイ14世没後のフランス絶対王政の衰退期にあたり、思想統制も強化されていたため、本書が専制思想上の圧迫を考慮してフランス国内での出版をあきらめ外国(ジュネーヴ)で匿名出版されています。

立法の原理を各国の政体、習俗、風土、宗教、商業などとの関係において考察し、各国にそれぞれ適切な政治形態の存在しうることを示唆した後、フランスのような文明国民には政治的自由が必要であるから、英国の制限君主制が望ましいとして三権分立論を説いています。
「ペルシャ人の手紙」
二人のペルシア人の旅行者が、ふるさとの友人にヨーロッパの見聞を書き送ると言う手法で著されています。
彼は、ほとんど盲目に近かったと言われています。
彼の死後発見されたノートには、「人類を愛することは神を愛することである」
という言葉がありました。
「わたしには著書を作る病癖があり、しかも著書を作った時にはこれを恥じる病癖がある。」


   トップページに     今日生まれの偉人伝に