1月


13日
狩野永徳(かのうえいとく)

1543〜1590 安土桃山時代の画家

足利将軍家御用絵師、狩野松栄の長男で、狩野元信の孫。絵を元信に学び、早くから才能をあらわし、織田信長、豊臣秀吉に仕え、絵師として活躍、信長が安土城を築いたとき七重の天守をはじめ城内に多くの障壁画を飾ることになり(これは、山崎の戦で消失)、彼は、一族を率いてその製作にあたり、手腕を発揮し画壇の第一人者となりました。

後には、秀吉の聚楽第や大坂城にも絵を書きました。時代の影響から大変勇ましく豪気な絵だったので、そのころの大名に気に入られました。金の地に、濃い鮮やかな色を主にした豪華で重みのある絵は時代を代表するものでした。

残念なことに彼の絵は兵火にかかったものが多く、代表作は「大徳寺聚光院の襖(ふすま)絵」「唐獅子図屏風」「洛中洛外図屏風」等です。

※狩野元信(1476〜1559)室町後期の画家
  狩野派の300年の基礎を固めた。狩野派始祖、狩野正信の長男「山水花鳥図」等

☆狩野探幽は栄徳の次子の孝信の長子になります。

1月


13日
シャルル・ペロー

1628〜1703

詩人・評論家。

フランスのパリで生まれました。父は法律家で、彼も弁護士になりましたが、ルイ14世の宮廷につかえ、王属建築総監としての職務の傍ら、アカデミー・フランセーズの会員としても活動していました。

当初は詩を書いていましたが、詩人として名声を得るようになると、散文に転じ、民衆の間で語り継がれている口承の昔話を文章化しようと思い立ったのです。

そして、1697年、民間伝承をもとに「童話集」を著します、このなかには「サンドリヨン(シンデレラ)」「青ひげ」 「赤頭巾」「眠れる森の美女」 など、現在でも有名な童話8編を収録していました。

これらの童話は、かなり忠実に、物語の原形を生かしつつ、彼にとって身近であった宮廷の様子などを、ふんだんに織り込み「サンドリヨン」(シンデレラ)の舞踏会や、「眠れる森の美女」などの宮中の描写は、非常にすばらしいものとなり、フランスだけではなくヨーロッパの各国、さらに全世界で読まれるようになっていきました。

彼は1703年に亡くなりましたが、その後の童話の世界に大きな影響をあたえ。そして、彼の死から100年後、グリム兄弟による有名なメルヘン集が編纂されることになります。
赤頭巾
彼の物語は最後に教訓がついているのですが、彼の「赤頭巾」は、我々が良く知っているグリム(当時はまだ生まれていませんでした)のものとは違って、お祖母さんは、狼に食べられ、赤頭巾ちゃんは、お祖母さんに化けた狼に、服を脱いで添い寝をして欲しいとだまされて、、狼に食べられてしまうところで終わっているそうです。この、お話の教訓は、もちろん、「女の子は、甘くてやさしいオオカミ(男性)には注意」ということですね。

ちなみに、原型となったフランスの民話では、狼がお祖母さんを殺した後、やってきた女の子をだまして、殺したお祖母さんの肉を食べさせ。さらに添い寝をしてくれと頼み、女の子の服を脱がせては、次々と暖炉にくべさせて、裸になった女の子と同じベッドに入るのですが、女の子は機転を利かせて命からがら逃げおおせる。というお話だそうです。赤い頭巾は登場していませんし、ちょっと、恐いですね。
サンドリヨン(シンデレラ)という名前の意味
まず、サンドリヨンはフランス語で、シンデレラは英語での呼び方になります。意味は灰をかぶった娘というような意味となるそうです。
サンドリヨンという名前は、彼女の本当の名前ではなく意地悪な継母とお姉さんたちがつけた名前で、彼女は、みすぼらしい服を着て、継母たちに朝から晩まで次から次へと一日中働かされました。そして、寒い台所でしか眠らせてもらえませんでした。そこで、寒さにたえかねて、まだ、暖かい暖炉の灰の中に手足を入れて暖めていたのです。だから、彼女はいつも灰で汚れており、それを、継母たちが、サンドリヨン「灰で汚れた子」と呼んでいたのです。

ちなみに、グリム童話では、意地悪な義理の姉たちは足をそぎ落としてまで靴を履き、最後には鳩に目を突っつかれて失明してしまうのですが、ペローの童話では、サンドリヨンはふたりの姉を宮中に住まわせ、立派な貴族と結婚できるよう取りはからいます。

ここでのペローの教訓は、「彼女は心が美しかったからこそ幸せになれたのだ」ということです。(復讐をするような人では、心が美しいとは言えませんよね)ちなみに、グリム童話の教訓は、 「意地悪な人は悲惨な運命をたどる」ということになります。


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