1月


8日
堀口大学(1892〜1981)

「ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ われらの恋が流れる
      わたしは思い出す 悩みのあとには楽しみが来ると」

詩人、仏文学者

長岡藩士、九萬一の長男として東京、本郷に生まれたましたが、間もなく新潟県に移り長岡中学を卒業、慶應義塾大学に入学し、佐藤春夫と親しく付き合い、又、与謝野鉄幹、晶子のグループに加わり、万葉集、和泉式部、源氏物語などを共に読んでいました。中でも特に恋愛中心的な、王朝文学の影響を強く受けています。

19歳の夏から、外交官であった父の任地先メキシコ、ベルギー、スペイン等へ行き、約9年間、青春の大部分を海外で過ごし、フランス文学に親しみ、フランス象徴詩の影響を受けました。また、画家ローランサンと親交を結び、訳詩をはじめるようになりました。

何度かの短い帰国をはさんで、1925年春、父の退職とともに日本に戻り、その秋に、訳詩集「月下の一群」が刊行されました。知性、機知、諧謔、エロティスムといったいっさいの人間的な要素をもつ、温かい人間性を基盤とする彼の作品は、第5詩集「人間の歌」(1947年・昭和22年)において、一つの頂点を極めました。

他にも短歌、評論、エッセイ、随筆等活躍は多方面に渡りますが、特に訳詩、翻訳家としても優れた業績を残し、昭和詩の発展に大きな啓発を与えました。

1979年(昭和54年)文化勲章を受章しています。

詩集「月光とピエロ」「砂の枕」
訳詩集「月下の一群」
翻訳小説「夜ひらく」(ポール=モーラン)

※ 与謝野鉄幹(1873〜1935)・晶子(1878〜1942)
  明治大正期の歌人、詩人

※ 佐藤春夫(1892〜1964)
  詩人、小説家

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ

     われらの恋が流れる
    わたしは思い出す

悩みのあとには楽しみが来ると

     日も暮れよ 鐘も鳴れ
     月日は流れ わたしは残る


            アポリネール「ミラボー橋」(堀口大学訳)


    白鳥の歌は
         死ぬ時。

    花火のひとみは
          消える時。
 
   あなたの帯は
          解ける時。
                「詩集(ヴェニュス生誕)より」
堀口大学の父親、九萬一は三歳のとき、長岡藩と新政府軍との戦いで足軽の父を失った。若い母は機織りをして女手ひとつで息子を育て、秀才で頑張り屋の息子はその期待に応え、「えらくなるにはどうしても洋学をやらねばならぬ」と考えて、二十歳のとき東大法学部の前身である司法省法学校に一番で合格、一八九三年に第一回外交官試験に合格しています。

最初の赴任地韓国で彼は日本の国権拡張の手先の役を演じる。韓国の内紛を利用し、反日派の王妃を暗殺してクーデタを起こすという陰謀で、密使として変装して幽閉中の王族と会い、漢文の筆談で日本への協力をくどいたり、クーデターの日、虐殺の現場に赴いたりしたそうです。

妻を早く亡くした九萬一は主に欧米諸国で外交官勤務をつづけ、日露戦争直前には軍艦購入で手柄を立てるなど卓抜な行動力を示します。そして、ベルギーの女性と再婚し、ヨーロッパ的教養を身につけてゆきました。

1911年、メキシコ駐在のときやっと息子である大学を呼びよせたのでした。彼としては、息子を外交官にするつもりだったのでしょう。


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