1月


5日
夏目漱石

(1867〜1916)

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」

小説家、英文学者

江戸牛込馬場下場町に名主の父、小兵衛直克と、母、千枝の末子として生まれました。本名は金之助で、両親の高齢のため、生後まもなく里子に出され、2歳の時、塩原家の養子となりますが、養父母の不仲のために9歳の時実家に戻っています。(夏目の性に戻ったのは21歳の時でした。)

東京大学英文科を卒業後、松山中学(愛媛県)、熊本第5高等学校に勤め(「坊ちゃん」の背景となる)、明治33年イギリスに留学し、明治36年に帰国してからは東京大学で英文学を教えました。

第一高等学校在学中に正岡子規と知り合い、俳句を作っていましたが、明治38年、雑誌「ホトトギス」に小説「我輩は猫である」を発表し、作家生活に入りました。

続いて「倫敦塔」「坊ちゃん」「草枕」を発表し、独自の新鮮な人生観で文名をあげました。その後、教職をやめ、朝日新聞社専属の作家となり「虞美人草」、「三四郎」「それから」「門」の三部作を書きあげました。

しかし、「門」を書き上げた明治43年の夏、胃潰瘍となり、静養のために訪れた伊豆の修善寺温泉で血を吐き、意識不明に陥りました。懸命の看護によって一命は取り止めたのですが、その生死を超える体験によって、彼の人生観は変化したと言われています。

そして、「こころ」で明治とともに生まれ育った「先生」を人間の罪と重ねて葬った漱石は、己の過去を暴いて克服するかのように「道草」を書き上げますした。その後、胃潰瘍悪化のため「明暗」を執筆中の大正5年12月9日に、世を去ったのでした。
「智に働けば・・・」は、「草枕」の冒頭の文章です。この「草枕」は、ある青年画家が喧騒の都会を離れて、山深い温泉地へと旅して・・・という小説ですが、ストーリーもあまりなく、ただ淡々と日常の世界が静かに描かれている、そんな作品です。

長い間病院で暮らし、最後は癌で亡くなった父が、この「草枕」を最後の愛読書とし、何枚かのスケッチまで残していたためか、私にとって非常に思い入れのある作品になっています。
つらい時、人生に苦しんだ時、この「草枕」を眺めて見るのも良い・・・そんな作品です。

そういえば、カナダの天才ピアニスト グレン・グールドが15年にわたり漱石の「草枕」を愛読しており、それが本になったとのこと。
吾輩は猫である
生まれて間もなく捨てられた猫は、苦沙弥先生の家に住み込む。人間は不徳なものだと車屋の黒から教えられた猫である吾輩は、人間を観察する。主人の門下生の寒月、美学者の迷亭、詩人の東風などが来ては、太平楽を並べて語り、いろいろの人間模様が織りなされる長編小説である。漱石の処女作。
坊ちゃん
単純、率直で江戸っ子の坊ちゃんは、四国の中学の数学教師になる。坊ちゃんの奔放な言動は生徒や教師たちの間に事件を巻き起こす。周囲の愚劣、無気力、悪知恵に反発し、先輩教師とともに、教頭に鉄拳制裁を加え、教職を投げうって東京に帰るという反俗精神にみちた名作。
それから
高等遊民である長井代助は、かつての恋人三千代を義挟心から友人平岡に譲ったが、その後も彼女への愛は深まっていく。平岡夫妻は大阪で失敗して、3年を経て帰京し、今は夫妻の間には亀裂さへ生じている。改めて彼女への愛を自覚した代助は、彼女に告白し、彼女も泣いてそれを受け入れる。世間の道徳的批判を超えた個人主義的正義に主題をおいた恋愛小説で当時の知識人への典型を書いた作品。
こころ
大学を卒業した私のもとに先生から遺書が届く。先生は学生時代、未亡人と美しいお嬢さんのいる下宿で生活しており、そこに困窮していた親友kを同居させる。Kからお嬢さんへの恋を打ち明けられるが、先生はKを出し抜いて、奥さんからお嬢さんとの結婚の許しを得る。それを知ってKは自殺してしまう。結婚した先生は罪の意識に苦しみ、Kの心を深く理解して自殺を決意するという中編小説である。
三四郎
大学にはいるために上京した小川三四郎にとって、すべてが驚きであった。彼の周りに先輩野々宮、友人佐々木、広田先生、里見美禰子が現われ、三四郎は美禰子に心を奪われていく。しかし彼女に女性の謎を感じさせられ、結局普通の結婚をするという新しい女性像と社会批判を描いた現実的な小説である。


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