12月


30日
ラジャード・キップリング

(1865〜1936)

「イングランドしか知らない人に、イングランドの何がわかるか」

イギリス 小説家 詩人

インドのボンベイに生まれました、その後イギリスで少年時代を過ごし、教育を受け、再びインドに戻り、新聞記者となりました。やがて詩人として、また小説家として活躍するようになりました。

1889年本国に帰り。1894年に、あの有名な、「ジャングル・ブック」を発表し、愛国的作家として人気を得ました。1901年には「キム」を書き、この作品によって1907年イギリス人として初めて、ノーベル文学賞を受賞しました。

また、兵士や水夫の生活を歌った彼の詩は、きわめて人気が高く、「兵営の歌」の売行きは,かつてのバイロンをもしのぐといわれました。

第一次世界大戦が勃発したとき、彼の長男は出征し、彼も戦線に赴いて、悲惨な現実の報告を新聞に掲載し、「大戦におけるアイルランド近衛歩兵隊」を書く。終戦後 南サセックス州バーウォッシュにある家の書斎にこもり、1936年ロンドンで亡くなりました。

彼の書いた詩や小説はぼうだいな数にのぼり、その数は三百を超すということです。(新婚旅行で日本を訪れていて「鎌倉の大仏」という詩も残しています。)イギリスやアメリカなど英語圏の国においては、すぐれた文学者や政治家から、ごく普通の人びとや小学生まで、彼の作品は様々な階層の人に愛されています。
幼少時から強度の近視で大きい眼鏡をかけていたので、ビートル(かぶと虫)と呼ばれる。彼の眼の悪さは有名で。りんごの木を祖母と間違えるほどでした。
キム

キム(キムポールオハラ)は、インドに駐留していたアイルランド連隊の軍曹の息子です。彼は小さいときに父母に死に別れ、叔母の世話になっていました。遊び仲間がみんな土地の少年だったので、彼はインドの言葉を覚え、その地方の風習をよく知っており、冒険好きな少年でした。あるときキムは、政府の情報部員で宝石商のラガーンという人と知り合います。ラガーンは、キムが土地の風俗習慣をよく知っており、機敏なのに目をつけ、役に立つ情報部員に出来ると考えたのです。

ラガーンはキムにいろいろな宝石を1分間みせ、布で覆い、どの宝石が何個あったかをテストした。何回かの訓練の後、キムは、大切な注意力と記憶力の技能を身につけていきました。キムは、その後、いろいろな訓練を受け、立派な情報部員となり大きな手柄を立てるのでした。

ボーイスカウトで採用されている「キムスゲーム」は「キム」からとったものです。ボーイスカウトの創始者(ベーデンパウエル)とは、インド駐在時代からの親友で、彼の作品はボーイスカウト運動にも多大な影響を与えました。
キップリングの息子ジョーンは、ボーイスカウトに入り、後にボーイスカウトのコミッショナーになっています。
ジャングル・ブック
インドの密林地帯で、赤ん坊の頃、オオカミの一群に紛れ込んだ人間の少年マウグリは、クマのバールーや黒ヒョウのバギーラの深い愛情に包まれ、「ジャングル法」に従って、賢く勇敢に成長します。そして、宿敵のトラ、シーア・カーンとの命をかけた闘いが始まるのでした

「ジャングル・ブック」の主人公と登場する動物たち

ヒョウのバギーラ
大胆で狡猾。絹のような光沢のある毛皮につつまれた黒ヒョウ。マウグリの無二の友。
ニシキヘビのカー
クールでハングリーな心の持ち主。10メートルの巨躯で何でも打ちのめす。
クマのバールー
ジャングルの教えと法の守護者。マウグリにジャングルのパスワードを伝授する。
オオカミのアケイラ
ジャングルの自由のために戦う一匹狼。

トラのシーア・カーン
ジャングルのすべての者から恐れられるマウグリの宿敵。


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