12月


2日
ジョルジュ・スーラ

(1859〜1891)

「芸術は調和だ」

フランスの画家、新印象主義の創始者

パリの比較的裕福な家庭に生まれました。父親は退官した官吏で、田園生活を好み、もっぱら田舎で暮らしていたので、スーラは母親の手で育てられています。スーラ家は働かなくても暮らしていけるほどの資産家で、そのお陰で彼はその短い生涯をひたすら芸術活動に捧げました。

16歳の時、パリ市立デッサン学校に入り、アンリ・レーマンのもとに学んだ。その後、官立のエコール・デ・ボザールへ入学。ここで彼は「視覚混合」を考えたのです。つまり前もってパレットの上で絵の具を混ぜて色を作るのではなく(混ぜると色の輝きが失われてしまう)、原色の光点をキャンパスの上に並べてみるという手法を編み出しました。それにより絵の具は輝きを失わず、また見る者の目の中で色彩が混じりあうのです。これが「点描主義」です。

1886年、第8回の最後の印象派展に「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を出展して、パリの画壇に衝撃を与えました。これにより彼の名は彼が編み出し、シニャックが理論をまとめた点描画法とともに一躍有名になりました。

彼は印象派に論理と科学性を与えることにつとめましたが、その作風は静謐な詩情を湛えています。

しかし、1891年に風邪をこじらせ喉頭炎を併発し、31才の若さで世を去ってしまいました。
彼は極端な秘密主義者でごく親しい友人にすらプライベートを打ち明けることは無く、彼はとうとう死ぬまで自分に妻子があることを親しい友人にも告げませんでした。さすがに身内には紹介したらしいのですが、自分の妻を実の母に紹介したのはなんと死ぬ2日前だったといわれています。
「芸術は調和だ。色調は明暗の変わり、色合いは色そのもの、線とは水平を基準としたときの方向性だ。これからさまざまに調和して感情が生まれる」
印象派の画家たちの中でスーラを誉めたのはピサロ一人だそうです。

ほかに誉めた人といえば、ドガが「グランド・ジャット島の日曜日の午後」について「なかなかいい、でも何てでかい絵なんだ」といってるそうです。

後にマティスはスーラの絵についてこう言っています
「色彩の細分化が、形と輪郭の細分化をまねき、画面は抑揚の無い同じ扱いになったわけです。支離滅裂な画面です」


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