11月


29日
ジョン・アンブローズ・フレミング

(1849〜1945)

イギリスの電気学者。

フレミング右手の法則・左手の法則

ランカスターで生まれました。ロンドン大学を卒業後、1877年からケンブリッジ大学で古典電磁気学を完成させたと言われるマクスウェルの指導のもと、マクスウェルが設立したキャベンディシュ研究所において、標準電気抵抗の研究を行いました。1881年には、磁場の中で電流が受ける力の向き、および磁場の中を運動する導体に生ずる誘導起電力の向きにかんする法則(フレミングの法則)を発見しました。そして1885年にロンドン大学最初の電気工学教授となり、1926年の77才まで大学教授をつとめました。

彼は、実は1881年から1891年の10年間ロンドン・エジソン電灯会社で技術顧問もしていました。1883年、エジソンは電球中のフィラメントの近くに金属線を封入したところ、電流が真空中を通ってフィラメントと金属線の間に流れる事を発見しました。これは「エジソン効果」と呼ばれていますが、翌年に特許を取ったものの、その事を他の発明に生かすことはできませんでした。

その後、彼はエジソン効果に興味を持ち、1904年にフィラメントと電極を向かい合わせ、フィラメントを電池の陽極に、電極を電池の陰極につないでみると、そのままでは電流が流れないのにフィラメントを熱すると電流が流れだす事を確かめました。ところが電池の極性を変えるといくらフィラメントを熱しても電流が流れない事を発見したのです。これは後に「二極真空管」と呼ばれるもので、この事から二極真空管は整流作用があるという事がわかりました。彼は即座にフィラメントを囲む金属円筒を封入した真空管を作り特許を出願しました。こうして1904年11月16日、彼は二極真空管、今で言うダイオードを発明するに至ったのでした。

その後も研究を続け測光の研究やテレビジョンの開発も手がけています。1929年にはナイトの称号を与えられています。
二極真空管という、この画期的な大発明は、彼が技術顧問をしていたマルコーニ社に利益をもたらすどころか、2年後、ド・フォレストによって三極管が発明されたとき、真空管発明の先取権をめぐる長い訴訟の種となり、結局高い開発品となってしまったということです。
1901年12月12日、イギリスの海岸で電気技師のジョン・アンブローズ・フレミングがモールス符号を打ちました。それを受け取ったのは、3000km離れたカナダに居たグリエルモ・マルコーニでした。これが、無線時代の幕開けを告げた大西洋横断無線通信でした。
フレミングは二極真空管を発振バルブ(Oscillation Valve)と名付けています。この素子には発振作用はないのですが名前の由来は振動電流を一方向にしか流さない弁の作用をするという意味合いがこめられていました。アメリカでは真空管をその形状から管(Tube)と呼んでいますがイギリスではフレミングの命名によって弁(Valve)が使われているのです。


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