11月


21日
ボルテール

(1694〜1778)

フランスの思想家。啓蒙主義者。(本名フランソア・マリ・アルエ)

豊かな公証人の子としてパリで生まれました。法律学を学び、のち文学に熱中しました。青年時代は、摂政オルレアン公を風刺したためバスチーユ監獄に入れられています。

イギリスに渡り、その民主主義的な制度や文化に感心し、帰国して、1734年「イギリス便り」を発表し、フランスの社会を鋭く非難しました。

このため、フランスを追われプロシアのフリードリヒ2世(大王)に招かれ、ポツダム宮殿で王の文学上の師となりました。その後方々を巡り、1759年に代表作「カンディド」を発表、1761年フェルネに住んで土地開発、社会改良につとめるとともに、多くの評論、小説などによって貴族と教会を攻撃し、合理主義と科学を進め、ディドロらの百科全書派の運動を支持しました。その思想はフランス革命に大きく役立ちました。
彼の言葉でいちばん有名なものは、次の言葉ではないでしょうか。
「私は君の意見には反対だが、君がそう発言する権利については私は命をかけても守る」
彼の著書はたえず検閲にねらわれていました。しかし、著書が焼き払われるという判決が下ったとき、ボルテールは「私の本は栗と同じだ。よく焼くほどよく売れる。」といったと伝えられています。
男がどんなに理由を並べても、女の一滴の涙にはかなわない」

自尊心とは空気でふくらませた風船である。ちょっと突いても炸裂して風になってしまう。

その年齢の知恵を持たない者は、その年齢のすべての困苦を持つ。


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