11月


20日
尾崎行雄(おざき ゆきお)

(1858〜1954)

明治・大正・昭和の3代にわたる政党政治家

相模(神奈川県)で生まれました。父が役人のため東京・高崎(群馬)・伊勢と移り、伊勢で英学校に入りました。17歳の時東京に出て慶応義塾に学びましたが、中退し、福沢諭吉の推薦により「新潟新聞」の新聞記者になり、その後、大隈重信に招かれて、大蔵省の役人になったりもしましたが「明治十四年の政変」により下野し。大隈重信の改進党に入党しました。

イギリスに渡り、3年間ロンドンで政治の勉強を行い、日本に帰ってから帝国議会の開設にあたって三重県から立候補して、第一回の衆議院議員に選ばれました。それから25回の選挙に当選して、60年余り代議士として政治に携わっています。

桂内閣のとき、犬養毅らと憲政擁護運動をおこし、内閣打倒の演説をしたのは有名です。文部大臣、司法大臣、東京市長などをつとめ、憲政の神様といわれました。

日本軍国主義時代には、日独伊三国同盟締結に反対し、大政翼賛会を攻撃する質問書を近衛内閣に提出。東条内閣に公開状を送り、翼賛選挙の中止を勧告しますが、不敬罪容疑で起訴され、巣鴨拘置所に入所しますが、大審院で無罪判決をうけています。

第2次世界大戦後は平和運動家として世界連邦制の確立のため努力しました。
尾崎行雄の言葉

たとえ自分の利益になっても、害になっても、とにかく正邪を判別する良心があれば、自分の見聞した事実を公にして、世の誤りを正すことが人間のつとめである。

・・・利害損得のみに執着する日本人の封建思想を叩き直して、正邪善悪に基づいて行動する人間をつくることが、民主教育の目的であり、教育者の使命である。

世界中から尊敬せられ、愛せられる日本人をつくるためには、まず教育家の魂から、つくりなおしてかからねばならぬとすれば、前途道遠しの嘆なきを得ない。しかし、日本人の心に根強くこびりついている利害損得本意の封建思想を叩き出して、正邪善悪本意の真の民主主義精神をしっかり教え込むというような大事業は、たとえどんな立派な教育家があったところで、とても少数の専門教育家が学校で生徒を教えるくらいで成し遂げられるような、なまやさしい仕事ではない。・・・日本人全体が教師となり、同時に生徒になった気で、たがいに教え、教えられつつして、向上していくより外はない。
民主主義は個人の自由権利を尊重する。しかし、いかに個人の自由権利を尊重すればとて、他人の自由権利をおかしてまで、個人の自由権利を主張していいはずはない。真に自分の自由権利の尊さを自覚した人なら、他人の自由権利の尊さを思うべきだ。もし、自分の自由権利を主張するために、他人の自由権利は踏みにじってもかまわぬというようなことが許されるなら、民主主義社会の自由は全体として失われる。社会が全体として自由を失えば、その社会の一員である個人の自由もまた、失われるのは理の当然である。

近頃、民主主義をはきちがえて、自分の、または少数団体の欲望を満たすために、他の多数の迷惑を顧みず、わがまま勝手を振る舞う心得違いのものがだいぶ増えたようだ。こうゆう不心得ものに、正邪善悪の物差しを教え込むことが、民主教育教育の一大使命である。
立憲政治に政党はつきものである。つきものというよりも、立憲政治は政党がなければ、やっていけない政治である。

・・・わたしはほとんど過去半世紀以上にわたり、あらゆる非立憲的勢力をはねのけて、名実かねそなわる政党政治を実現することに挺身してきた。・・・なんとしても本来の政党をつくらねばだめだと思って、ずいぶん骨を折ってみたが、どうしてもだめであった。政党の形だけはすぐできるが、それに公党の魂をいれることがどうしてもできない。なぜだろうと考えてみた。

思うに、それは日本人の思想感情がまだ封建時代をさまよっているために、利害や感情によって結ばれる親分子分の関係と同型の私党はできても、主義政策によって結ばれ、国家本意に行動する公党の精神は、どうしても呑み込めないのであろう。力をめぐって離合する感情はあっても、道理をめぐって集散する理性がないからであろう。
「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。前項の目的を達成するため、陸海軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」(日本国憲法第2章第9条)

・・・私も多年の平和論者であるが、正直に言って、かくまでに徹底してはいなかった。私はこの原案の作成者と、この原案の冒頭に「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を希求し」という文句を加えて、これを可決した議会に心から敬意を表する。

この条文の審議にあたり、「我が国だけが戦争を放棄しても、他国がこれに賛同しない限り、その実効は保障されぬではないか」という委員の質問に対し、政府は「この規定は、我が国が好戦国であるという世界の疑惑を除去する消極的効果と、国際連合自身も理想として掲げているところの、戦争は国際平和団体に対する犯罪であるとの精神を、我が国が率先して実現するという積極的効果がある。現在の我が国はまだ十分の発言権を持って、この後段の積極的理想を主張しうる段階には達していないが、必ずや、いつの日にか、世界の支持を受けるであろう」と答えたと報せられたが、この答えもまことに結構である。ただ一言、老婆心を持って言っておきたいことは、この一片の文章を見ただけでは、我が国を好戦国であるとする世界の疑惑を取り除く事はできないであろうということである。このうえは、日本人の生活のあらゆる面において、我々が真の平和愛好者であることを、実践を通して証明しなければならぬ。
世界の土地と資源は、全人類のために利用せらるべきである。この地球は、独りアジア民族のために創造されたものでないと同じく、ヨーロッパ民族のためにつくられたものでもない。人類はすでにこの真理を理解し始めており、時代の進歩するに従って、よりよくこれを理解するようになるであろう。この世界的認識に対するおもな障害は、各国が、富と権力において他国を凌がんとする狭隘な野心をもつことである。この野心が各国を支配しているかぎり、世界的平等への進歩は行われない。・・・

孤立主義や門戸閉鎖主義は、広大な領土と巨大な資源を有する英国や米国、或いはソ連や中国などには可能であるが、これらの国々とまるでちがった環境にある日本には適しない。日本は、富と人との世界的交流をはかり、『門戸開放政策』の先導者になる方が有利である。この目的を達するには、日本に高尚にして神聖な精神を注入しなければならぬ。かくして日本は、弱小民族を援助することによって、偉大なる正義への道を歩むこととなろう。

これこそ世界を救済するのみならず、日本を救う道である。日本の運命は、日本がこの方向をとることに成功するか否かにかかっている。現在の日本は、生死の関頭に立っている。日本は小国の先頭に立って、正義への道を進まんとするか。はたまた大国の進みつつある狭い道にふみこんで、彼等とその運命を共にせんとするか。


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