11月


19日
インディラ・ガンジー

(1917〜1984)インドの政治家。

インドの初代首相の1人娘で、下院議員であった故ガンジー夫人。サンチニケータン、オックスフォード大学を卒業、早くからインドの独立運動に参加し、国民会議派に加わり、独立運動を続けて一年余りも投獄されました。

インドの独立後、国民会議派の婦人部長などをつとめ、1964年シャストリ内閣の情報大臣となりましたが、1966年シャストリ首相が急死し、そのあとをついで第3代首相となりました。

その後1967年下院議員に初当選し、社会主議的政綱をかかげて会議派の分裂を強行して、1971年の総選挙を大勝に導き、バングラデシュ独立戦争への介入にも成功し、人気も最高潮になりましたが、政治の強権主義を進め、非常事態宣言を発動するなど一種の恐怖政治を行なったため1977年の総選挙で敗北します。

しかし、1980年の総選挙で圧勝、第6代首相に返り咲きましたが、パンジャブ州などで州分離要求や社会経済的対立が激化するさなかの1984年10月31日、同州出身の2人のシーク教徒護衛兵により官邸で射殺されてしまいました。
ガーフィールド(Garfield,James Abram)

(1831〜1881)アメリカの政治家。第20代大統領

幼いときに父を失い、貧しい中、努力して学業を続け、ウィリアムズ・カレッジを卒業。オハイオ州ハイラムの母校の学院の教員をへて、のちにその校長となっています。

その後、新設の共和党に入り、1859年州議会議員となりましたが、南北戦争で議員を辞職。戦争中は、オハイオ志願歩兵隊を編成し、北軍士官として各地を転戦し、少将にまで昇進しました。

戦後オハイオから連邦下院議員となり、1880年連邦には上院議員となり。同年の共和党大統領候補指名大会で,対立候補間で票が割れ結論が出なかったため、なんと36回目の投票ではからずも指名されると、小差で第20代大統領に当選しました。

しかし、翌年の7月2日、就任わずか4ヵ月目に官職につけず不満をもったC.ギドーにより狙撃され、重傷を負い、その2ヵ月後に亡くなりました。
チャールズ1世

(1600〜1649)イギリス王

ジェームズ一世の第2子、スコットランドに生まれ、兄の死により1616年皇太子となり、1625年に父の後をついで王位につきました。

国の財政が苦しくなっているにもかかわらず、スペインのカジス遠征など外征を行い、また国民に強制献金を命じたりなどして国民や議会の反対を受けました。

専制政治を行いましたが、議会はそれに反発。国王側近の処罰、大権裁判所の廃止、同意なき課税の撤廃などの改革に着手し、彼の失政を非難した大抗議文を発表したのです。対立は頂点に達し、1642年の秋、清教徒革命が勃発しました。緒戦は王軍に有利に展開したのですが、ネーズビーの戦いで敗れて以来劣勢に陥り、彼はスコットランド軍に投降し、さらに議会軍に身柄を引渡されました。

その後、彼はスコットランド軍と密約を結んで第2次内乱を起しましたが、王軍は議会軍に敗れて裁判にかけられ、暴君、反逆者、国家の敵として処刑されました。
今日は、この3人紹介します。読んだ方はお分かりでしょうが、3人とも偶然もしくは、他の人の死などによって一つの国を治める長となり、そして、悲劇的な結末をむかえています。これは偶然でしょうか?それとも・・・


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