11月


8日
ハーマン・ロールシャッハ(Hermann・Rorschach)

(1884〜1922)

スイスの精神病理学者

チューリッヒで生まれました。父親が画家であり幼少より彼自身絵を書くことが好きで若い頃は芸術家を志したこともあったそうですが、結局、医学の道に進みました。

その後、インクのシミに対する学童の連想実験などを経て、1921年に、紙にインクを落として、その落とした紙を半分に折り、再び広げて出来た左右対称のインクのシミが印刷された紙を、被験者に見せて行う人格診断検査法「ロールシャッハ・テスト」を発表しました。

これは同じ図を見ても、人それぞれ何に見えるかは異なるため、シミのどのような特徴が、その人にあるイメージを想起させたかを分析、解釈することで、被験者の人格の特性を分析するものでした。

判定の手掛りは、反応数、反応時間、反応領域 (全体反応,部分反応など) 、反応決定因 (形態反応、運動反応、色彩反応など) 、反応内容 (人間反応,動物反応,性的反応など) 、形態水準 (正確さ、構成度、病的水準など) などだそうです。

クライアントが結果を予想出来ないので、自由に素直に話しをしてもらえるという長所があるものの、熟練しなければ、正しい結論を見出せない、理論的根拠が、どうもはっきりしない、という欠点もあります。その後、さらに研究が行われて理論的な発展を見せて世界的に普及することになったのです。

このように、現在でも有名なロールシャッハテストですが、彼自身は、ロールシャッハテストの誕生の翌年、37歳の若さで亡くなっています。

11月


8日
マーガレット・ミッチェル(Margaret Mitchell)

(1900〜1949)

「故郷に帰って、彼を連れ戻す方法を考えよう。明日は明日の風が吹く」
                            (風と共に去りぬ)

アメリカの女流作家

ジョージア州アトランタで生まれました。本名は「ペギー・ミッチェル」で、弁護士でアトランタの歴史専門家だった父と、アトランタの婦人参政権運動グループのリーダーだった母の娘として生まれました。彼女は幼い頃から南北戦争について、さまざまな話を聞いて育ちました。

彼女は小さい頃から作家的才能に恵まれており、子供の時から彼女の書いた脚本・演出で、友人や近所の子供達とともお芝居をしていたそうです。13歳でワシントン女学院に入学してからも、演劇クラブに入部し、彼女の書いた短編小説が校内雑誌に掲載され文芸部の部長にもなっています。

その後、21歳で最初の結婚をしましたがうまくいかず、すぐに離婚してしまいます。そしてアトランタ・ジャーナル社に入社し、「サンデー・マガジン」の記者となり、花形記者の地位を確立して、25歳で同僚だった「ジョン・ロバート・マーシュ」と再婚し、ミッドタウンのアパートで生活をはじめました。

しかしその翌年、落馬して足を負傷し、回復に手間取ったため、「サンデー・マガジン」を退職します。療養中は読書三昧の日々を過ごしましたが、夫に歴史小説を書く事を勧められ、幼い時から心を占めていた主題を練り、夫が編集者となって小説を書き始めたのです。その後、約10年をかけて南北戦争を舞台にした長篇ロマンス「風と共に去りぬ(Gone with the wind)」を完成させました。

この作品は評論家達からも絶賛され、空前のベストセラーとなり、現在までに3000万部以上売り尽くし、今現在でも世界で年に25万部ずつ売上を伸ばしているということです。

そして、この作品は1937年にはピューリッツァー賞を受賞し、また日本語に翻訳されて三笠書房から出版されています。そして1939年には作品が映画化されて大ヒットとなり、アカデミー賞を総なめにしています。

しかし1949年8月11日、彼女は映画を見に行く途中で道を横切ろうとしてタクシーに轢かれ亡くなってしまいました。48歳でした。


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