11月


5日
海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)

1901〜1977

小説家

鹿児島県伊佐郡大口村に生まれました。本名は末冨東作といいます。国学院大学を卒業後、中学教師を務める傍ら創作をはじめ、「サンデー毎日」の小説募集に応募し、昭和4年「うたかた草紙」、7年「風雲」が当選します。昭9年教師を辞し職業作家にとなり、昭和11年に「天正女合戦」「武道伝来記」により直木賞を受賞し文名を高めます。

戦後は「蒙古来る」「平将門」「天と地と」等の大作を発表し、なかでも「武将列伝」「悪人列伝」などの史伝ものに独自の分野を拓きました。また郷里の薩摩に題材を得た「二本の銀杏」「火の山」「風に鳴る樹」の三部作があります。

昭和44年「天と地と」がNHK大河ドラマとして放映されましたが、同じ年にマスコミからの引退声明を発表し、ライフワークである「西郷隆盛」の書き下ろしに取り組んでいましたが、完成を待たず執筆中に脳内出血と心筋梗塞で倒れ、昭和52年(1977)栃木県黒磯の菅間病院で死去。76歳でした。
彼は「西郷隆盛」第1巻の「あとがき」の中で、「どうしても西郷伝を書かなければならない。おれが書いておかなければ、西郷はこの妄説の中に埋もれてしまい、ついにはこれが定説となってしまう」と言っていましたが、しかし、第6巻が刊行される直前の昭和52年11月19日、脳出血で意識不明に陥り、12月1日、とうとう亡くなってしまいました。
文豪、海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)がこよなく愛した伊佐錦。

「薩摩の焼酎は、日本一…、いな世界一である…。その薩摩焼酎の中で伊佐郡の焼酎を最上とするとは、鹿児島県内の定評である…。僕のふるさとの焼酎なのである」。これは反骨の歴史小説家、直木賞作家、海音寺潮五郎氏から伊佐錦にいただいた賛辞の言葉です。


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