10月


29日
エドモンド・ハレー(Edmund Halley)

(1656〜1742)

イギリスの天文学者

ロンドンで生まれ、オクスフォード大学で物理学を研究。卒業後は天文学を研究し、惑星の軌道について論文を書き、王立協会員となり、ニュートンらと交わった。

一六八二年、天空の彼方に突如長く尾をひく彗星が現れ当時の人々を驚愕させました。後にグリニッジの天文台長となり王立協会の会員となっていた彼は、彗星の動きを記録、そのころニュートンによって公式化された運動の法則を使って計算しこの彗星もまた楕円軌道を描いていることを発見しました。

そこで当時記録が残っていた二十四個の慧星の軌道を計算してみると。すると1531年と1607年の彗星の軌道が似ていることがわかったのです。彼はこれらは同じ彗星であり、約76年の周期で太陽を回っているに違いないと考え1758年ごろこの彗星が再ぴ現れると予言したのです。これがハレー彗星である。

その後も彼は研究を続け、物理学、数学、海洋学気象学など様々な分野で多くの業績を上げています。

彼は1742年に亡くなりますが、1758年のクリスマスの晩にドイツ・ドレスデン郊外のアマチュア天文家パリッチ氏が予言どおりに、彗星を発見しました。ここに、決まった周期で巡る彗星が初めて確認されたのです。彼の功績をたたえ、この彗星は彼の名をとってハレー彗星と呼ばれることになったのです。

ハレー彗星が次に戻ってくるのは、2061年になるということです。
1718年、彼は、ギリシア時代の星図を調べているときに不思議なことに気付きました。ギリシア時代の星図に記載されている星の位置は、おおむね正しい位置にあるにもかかわらず、一部の特に明るい恒星に限って位置のずれが認められたのです。
これが固有運動の発見で、彼が固有運動を発見した恒星は、シリウス、プロキオン、アークトゥルスです。

固有運動
天文学で、光行差、歳差、章動などによるずれ以外に、恒星が太陽との相対運動によってそれぞれ固有の方向に位置を変えること。一年間の方位角の変化で測定。
ハレー彗星の軌道は逆行 していて、黄道に対しては18度傾いています。またその形は、ほかの彗星のように、細長い偏心軌道です。

いままでに、探査衛星が調査した彗星は3つだけです。NASAの国際彗星探査機(ICE)は1985年にジャコビニ−ツィンナー彗星の尾を通りました。ジオットは1989年にグリッグ−シェレルプ彗星を調査しました。1986年、ソ連(今のロシア)、日本、EC(ヨーロッパ共同体)の5つの探査機がハレー彗星を調査したのです。ヨーロッパ宇宙機関(ESA)のハレー探査機ジオットは、ハレー彗星の核の写真を撮ることに成功しています。
1690年 彼は、釣り鐘の中に圧縮空気を送る方法を発見し、 水深15mに2時間30分とどまることに成功しています。
彼は、生命保険制度の創設者(1693年)でもあるのです。彼はブレスラウ市の教会の記録をもとにして、1693年に生命表を作ったのですが、この生命表によって生命保険の合理的運営が可能となり、彼の発表から約70年後に、イギリスのロンドンで最初の生命保険会社、エクイタブル社が誕生したのです。
猟犬座とハレー
猟犬座とは熊(大熊座)を追ってゆく男(牛飼座)が引きつれている二匹の犬の星座ですが、近世になって追加されたもので、古代のプトレマイオスは大熊座の一部としていました。17世紀になってから、ドイツの天文学者ヘベリウスが独立の星座とし、その死後、1690年に出版された著書『Prodromus Astronomiae』とその星図に正式に採用したとされています。ヘベリウスがこの星座を設定したのは、1679年にダンチヒ(現在のポーランド領)をたずねた英国の若い天文学者エドモンド・ハレーにすすめられたためだといわれています。この二匹の犬は、北側の犬を「アスチリオン」、南側の犬を「カラ」と名付けられているということです。


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