10月


17日
アーサー・ミラー(Arthur Miller)

(1915〜)

アメリカの劇作家

ニューヨークで生まれました。恵まれた家庭で育ちましたが、14歳のとき、一家を支えた衣類の製造工場が大恐慌で倒産。父親はセールスマンに転職し、高校時代は大学の学費を稼ぐため、自動車会社で働いたといわれています。

ミシガン大在学中に劇作家を志し、34歳で発表した「セールスマンの死」でピュリツァー賞を受賞しました。父と子の断絶という悲劇を幼少体験と重ねあわせて描いた同作は、現代演劇の最高傑作とされ、日本をはじめ世界各国で公演され続けています。

1950年代、アメリカでは、赤(共産主義)狩りによる密告の風潮が吹き荒れました。彼は、その危機感を中世の魔女狩りを題材にした「るつぼ」で告発。発表後、喚問された米議会で、さまざまな会合の場所に集まっていた人の名を挙げよ、と迫られましたが、投獄される可能性もあるなかで、証言を拒否、議会侮辱罪で禁固刑(二審で無罪)を受け、一年間、服役しましたが、最後まで信念を貫きました。

このとき、彼を支え、助けたのはマリリンモンローでした。審問から八日後に、彼と結婚。大衆も彼等を支持し、彼女の援護が世論の流れを変え、議会の面目は丸つぶれになってしまいました。

彼の自作「荒馬と女」「クルーシブル」などは、モンロー主演で映画化されることになります。彼は公私ともにベストパートナーだったかつての妻について「すばらしい女優であり賢明な芸術家でもあった」と語っていますが、彼女とは56年に結婚し、61年に離婚しています。

その後も、彼女との生活の破局を描いた半自伝的戯曲「転落の後に」や、ナチスのユダヤ人狩りから人間の原罪を考察した「ビシーでの出来事」などを発表。一貫して社会と個人との関係や、人間の尊厳を追求しています。
セールスマンの死
セールスマンとしての成功という夢にすがって生きながら、社会からも息子からも見捨てられ自殺に追込まれる敗残の老セールスマンの悲劇。19世紀的なフロンティアが喪失したにもかかわらず、経済的な自由競争を追い続けた老セールスマンの苦悩を、現実と回想を巧みに織りなす手法で描いた作品

「家族というのは、社会という怪物と闘わねばならない。社会システムの残虐さは世界共通の事実。だからこそ、普遍性を持ち得たのではないでしょうか」アーサーミラーの言葉
彼が投獄をされても沈黙し、仲間を守ったのに対し、エリア・カザン(マーロン・ブランドの「欲望という名の電車」や、ジェームズ・ディーンの「エデンの東」を監督)は、この審問の際、映画仲間の名前を次々と挙げて、そのため、周囲の信頼を無くしボイコットを受けています。
アーサー・ミラーと結婚したときマリリンモンローはこう言いました。
「アーサー・ミラーは頭の悪い女とは結婚しないわ。」
彼女がいかにコンプレックスを抱えていたかが推察できますね。
2001.9.14
世界の優れた芸術家に贈られる「高松宮殿下記念世界文化賞」(主催・日本美術協会=総裁・常陸宮さま)の第13回受賞者に、「セールスマンの死」などの名作で知られる劇作家、アーサー・ミラー氏(85)(米)(演劇・映像部門)ら5氏が決まった。


   トップページに     今日生まれの偉人伝に