10月


15日
フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)

(1844〜1900)

ドイツの哲学者

北ドイツのリュッツケン市郊外の新教の牧師の子に生まれました。ボン・ライプチヒ大学でギリシャ文献学を学びました。1869年、24歳でスイスのバーゼル大学教授になりましたが、このころ、哲学者のショーペンハウァーや音楽家のワーグナーの影響を受け、「悲劇の誕生」「季節はずれの考察」などの論文を書いています。

翌年普仏戦争に志願看護兵として従軍して、健康を害し、以後、一生病気がちで1879年バーゼル大学をやめ、ヨーロッパ各地を転々としながら孤独と思索の生活に入りました。

その間「人間的なあまりに人間的な」を書き、そして1883年「ツァラトゥストラはかく語りき」を発表しました。かれの哲学は生の哲学と呼ばれ、ヨーロッパ文明の退廃はキリスト教の支配によるものであるとし、新しい価値の樹立を主張、キリスト教道徳は弱い物の道徳であり、強くたくましい強者の道徳「超人」の思想を説きました。

1886年になると堰を切ったように次々と著作を発表。「善悪の彼岸」、自伝的作品の「この人を見よ」など彼の主要な思想が著されていき、彼にとって、栄光が地平線に見え始めた時、1889年45歳のときトリノのカルロ・アルベルト広場において発狂して昏倒。家族のもとに連れ戻され、その後は精神的薄明のまま彼は約十年間、最初のうちは母に、97年以降は妹に看護されて生存し、56歳でワイマールにて死去しています。

彼の病気に関しては、感染性の脳脊髄膜炎であるとする説が多いのですが。ただし、それが発狂を引き起こした直接の原因ではない、という意見が大勢を占めています。
ツァラトゥストラはかく語りき
ゾロアスター教の教祖の名を借りた主人公の口を通して、キリスト教的な伝統的道徳を否定し、人間自身の可能性を極限まで実現して、権力への意志を遂行する超人の道徳を説いた。主著「権力の意志」への序論をなし、二〇世紀ヨーロッパの思想・文学・芸術に対して巨大な影響を与えました。
ニーチェの言葉

日常生活で人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。神様が嘘をつくことを禁じたからではない。それは第一に嘘をつかないほうが気楽だからである。

人間は行動を約束することはできるが、感情は約束できない。
なぜなら、感情は気まぐれだからである。

苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。

「人間的な、あまりに人間的な」


誰にせよ、何事からも従って書物からも、自分がすでに知っている以上のものを聞き出すことはできないのだ。体験上理解できないものに対しては、人は聞く耳もたないのだ。

「この人を見よ」

地球は皮膚を持っている。そしてその皮膚はさまざまな病気も持っている。
その病気の一つが人間である。

私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。
私が諸君にすすめるのは遠き者に対する愛である。

「ツァラトゥストラ」


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