10月


14日
ドワイト・デイビッド・アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower )

(1890〜1969)

アメリカ合衆国の軍人・政治家

テキサスで生まれました。その後陸軍士官学校、陸軍大学を卒業。第一次世界大戦では戦車隊長として戦っています。第二次世界大戦では北アフリカ方面連合軍司令官、ついでヨーロッパ方面連合軍最高司令官となり、ノルマンジー上陸作戦(オーバーロード作戦 ) を指揮し成功。連合軍(アメリカ、イギリス、フランス等)を勝利に導きました。

戦後アメリカ陸軍参謀総長などを勤め、コロンビア大学の総長になりましたが、後に北大西洋軍(NATO)最高司令官となっています。

1952年共和党から大統領選挙に立候補し、民主党のスチブンソンを破って翌年1月第34代大統領となりました。4年後再選されて引き続き大統領の地位を確保しています。

当時、アメリカなどの自由主義国とソ連などの社会主義国家は、考え方も政策もちがっており、彼は社会主義国家に対して、強く厳しい外交政策をとりました、またスエズ動乱を受け、アイゼンハワー・ドクトリンを発表し、中東の親米政権に経済・軍事援助を与え、社会主義思想の中東への拡大を牽制。レバノン内戦に介入しています。

しかし1959年、ダレス国務長官が死ぬと、対ソ政策を方針転換し、フルシチョフ・ソ連共産党第一書記との首脳会談を実現平和共存への努力を重ねました。

1960年、日本にくる予定でしたが、日本国内の日米安全保障条約繁多運動のため阻止されました。

彼は、その親しみやすい風貌と率直な人柄、強靱さとを持って、「アイク」という愛称で国民から親しまれていました。
キャンプデービッド
先日、小泉首相とブッシュ大統領が会談したこの山荘は、メリーランド州のカトクティン山系にあり、首都からの直線距離は北西に百数十キロほどのところにあります。
この山荘は1942年に、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領の健康を気遣い、ホワイトハウスの近場で夏の暑さを避け静養可能なところを、というので建てられました。大統領は、ジェームズ・ヒルトンのベストセラー小説「失われた地平線」に描かれた理想郷になぞらえ、この山荘を「シャングリラ」と呼んで愛用していたのですが。その後アイゼンハワー大統領が孫の名前に付け替えたことに由来し、「キャンプデービッド」という現在の呼び名は、それがそのまま定着したということです。
あまりエピソードが見つからなかったのでジョークをひとつ

アイゼンハワーがモスクワを訪問した時のこと。

アイゼンハワーはフルシチョフと会見し、「モスクワの通りは寝転がった酔っ払いばかりだな」と、感想を述べた。
フルシチョフは機嫌を悪くし、「アメリカにだって、そんなやつは山ほどいるだろう」と、言い返した。
アイゼンハワーも機嫌を悪くし「それならアメリカに来てみろ。もし通りに寝転がった酔っ払いがいたら、そいつを撃ち殺してもいい」と、叫んだ。
それからしばらくして、フルシチョフはアメリカを訪問した。 新聞はフルシチョフ訪米の記事と、もう一つの記事を載せた。

その記事には「ワシントンの通りで何者かが、数人のソ連外交官を撃ち殺した」と書いてあった。
信憑性は無いのですが、こんな情報もありました
UFO研究家の中には、大統領になってまもないうちのアイゼンハワーは墜落したUFOの回収に興味を持っていたが、大統領であってもそうした情報を手に入れるために必要な機密情報の使用許可がないと知って驚いたことがあると言う者もいる。そして1954年2月、アイゼンハワー大統領はミュロック(現エドワーズ)空軍基地で異星人と会見したといいます。


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