10月 11日 |
フランソワ・モーリアック(モーリヤック) (1885〜1970) フランスの小説家 ボルドーに生まれました、彼は幼いとき父を失い、カトリック信仰の厚い母の手で育てられました。ボルドー大学に学んだのち、20歳のときにパリに出て、古文書学校に学びながら詩や小説を書き始めコクトーらと交わりました。1922年「らい患者へのキス」で新進作家として認められ、以後次々と傑作を発表しました。 神の恵みを信じ人間の悪を描くというカトリック作家でしたが、評論家としてもすぐれた業績を上げています。 第二次世界大戦にはレジスタンス運動に加わり「黒い手帳」「とかれたさるぐつわ」を書きました。戦後反共の道をとる一方で、アルジェリア事件では反植民地主義を主張するなど、一貫して反ファッショの立場を変えませんでした。 代表作に「母」「愛の砂漠」「夜の終わり」「テレーズ・デケールー」「宿命」「海への道」「パリサイの女」「蝮のからみあい」などがあります。 1952年ノーベル文学賞を受賞しています。 |
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テレーズ・デスケイルー 1927年刊。ボルドーの海岸地方を背景に、地主階級の愚鈍な男のもとにとついだ女が、自由を求めて夫の毒殺をはかるまでを、内的独白と回想で綴る。 |
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1945年5月、ソ連軍はベルリンに突入し、5日後、ドイツの無条件降伏が決定します。フランスではソ連のスターリングラードの死闘をたたえ、地下鉄の駅名として「スターリングラード」が命名されています。このとき祝賀パーティの陣頭指揮をとったのが、かつて大のソ連嫌いで知られたノーベル賞作家モーリヤックであったということです。 なお、スターリンの死後、同氏の独裁に対する一連の「スターリン批判」により、本国でのスターリングラードの地名は消滅したそうです。 |
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フランソワ・モーリヤックの言葉 「わたしはよく読者からこんな質問を受ける。あなたはあなたの小説のなかで扱われている醜悪なものをどこから探し出してくるのですか?と。するとわたしは目を伏せて答えざるをえない。奥様、それはわたし自身のなかからです。」 「人の心が苦しめば そこにキリストが住まわれる」 |
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彼の愛したボルドー ガロンヌ川沿いの港町ボルドーは、ワインの積出港として世界的に有名です。1360年から1453年まではイギリス統治下にあり、イギリスの対フランス前線基地となりました。モンテスキュー、モンテーニュ、モーリヤックといった有名人を排出し、またフランス革命期にはボルドー選出の代議士によってジロンド党が結成され、大きな役割を果たしました。街の東側をガロンヌ川がゆったりと流れ、街中には歴史ある商都の雰囲気があふれてるそうです。 |
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