10月


5日
ドゥニ・ディドロ (Denis Diderot) (1713〜1784)フランスの哲学者,文学者

シャンパーニュのラングルで裕福な刃物職の親方の息子として生まれました。ブルジョワジーの彼はパリ大学に学び、優秀な成績を修めました。

放浪生活の後、1745年、ダランベールと共に、「百科全書」の編集責任者となり、ケネー、モンテスキュー、ルソー等、当時のフランスにおける最も優れた唯物論的思想家たち184人の協力を得て、幾多の苦難を乗り越え、1772年に、この大著を完成させました。この百科全書に参加した184人の集団を、アンシンロペディスト=百科全書派と呼んでいます。

彼は、この間も、哲学著作として1746年に「哲学夢想」、1769年に「ダランベールの夢」などを執筆。また、小説として今も名作とされる「ラモーの甥」等を書いています。

「百科全書」完成後、蔵書を買い上げてくれた上に300フランの年金を出してくれることとなったロシアの女帝エカテリーナ2世に謝意を表するため、ロシアに赴き、。帰仏後、終生のテーマ、道徳の問題を考察した「セネカ論」を完成させ、パリで亡くなりました。
協力者ルソーは、思想的不満から「ダランベールへの手紙」を書いて決別し、ダランベール自身も攻撃に対す る嫌気から59年に編集から去ってしまいました。第8巻以後は、ディドロ とジョクール(1704〜1779)の編集によって続刊されましたが、表題扉も 「某氏編」となってスイスのヌシャテールにおいて発行して います。
ディドロの代表作に「ラモーの甥」がありますが、「ラモーの甥」を読んだゲーテが驚き、自分でドイツ語に訳して出版しました。実は、それが『ラモーの甥』の最初の出版になりました。フランス語原版が出たのはずっと後のことになるそうです。
「百科全書」以前には、知識というのは知識人と呼ばれる人たちの独占物でしたが、それがこの「百科全書」によって一挙に流出し、フランス革命にも大きな影響を与えたといわれていますが、実際のところは価格が高く、庶民が買えるものではなかったそうです。


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