二年前の今頃、救命救急センターで死にかけてました。血圧がどんどん下がり何をしてもダメ。それで近大付属病院に転送されたそうです。呼吸ができなくなり苦しくて意識が無くなる時、死ぬ、と思いました。すごく怖くて無念だった記憶がそこまであります。ほんの数十分前は普通に元気でした。怖かったです。数日後、意識が戻った時は何も分からず「ココはどこ?」の状態でベッドの上で動けませんでした。口からはパイプが出て体中は配線だらけ。医師から説明を受けましたが何のコトやら・・・。看護婦さんから鏡を見せられヒゲの伸び方を見てビックリ!「何日寝てたの?」って。数日はそのままでした。体に力が入らず動けないので。数日後、呼吸器を外して呼吸の練習、その後、飲食の練習となりましたが体は動きませんでした。しばらく寝たきりで筋力が落ちて歩くも何も立てませんでした。意識が戻って医師から氏名と住所を紙に書くように言われました(しゃべれないし呼吸も出来ないので)が、字も書けませんでした。今でこそ元気ですが、二年前の今頃は・・・。生きててよかったです。一般病棟に移ってからは元気で歩き回ってました。ヒマでした。屋上から通った学校や勤めた会社をみてハトと戯れてました。仕事の約束をしてたメーカー様、取引先や納車予定だったお客様、新聞屋さん、皆様には多大なる迷惑をかけました。その後も変わらずにお付き合いして頂いてます皆様に感謝します。これからも宜しくお願いします。そうそう、薄れていく意識の中、「救急車って乗り心地ワル〜」って思ったコトをなんとなく覚えてます。それと、危険な状態の為、家族や親戚が病院に呼ばれた時、阪神ファンのオヤジは甲子園で日本シリーズをみて騒いでました。何も知らないオヤジは帰宅したらオカンが居てなかったそうです(病院)。このシーズンになると思い出します。
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