「武庫(むこ)」 

 
  古代難波からの対岸の地の呼称。早く「日本書紀」「万葉集」に
 海・滞・泊・河・渡などの名として現れる。(武庫・牟故・六児)
  
  その語源については、賀茂真淵が「冠辞孝」に難波の向フ説を出し、
 吉田東伍「大日 本地名辞書」が、これに賛同していらい

  定説化していた「冠辞孝」には椋(むく)説もある。が最近
 鏡味明克が「向」は古代の仮名遣いではムカフであってムコウでは
 ないとして却け、海岸地名に多い「〜子」地名(例えば網子
 (あみこ)、梶子(かじこ)がアゴ、カコという地名となる)の
 一つとし、「ム」ではじまる何らかの語と「子」との複合語が
 一音節になったとする「ム〜子」説を出した。
  
  しかし古代氏族に高向(タカムコ)があり、日常口頭語として向=
 ムコもありえたのではなかろうか。
 
 「万葉集」巻3に次の歌がある。
  283 住吉の得名津に立ちて見渡せば武庫の泊ゆ出づる船人 
                                     高市連黒人

 「六甲(むこ)」山は、室町時代のころからの当て字。
                 
 (出典 Web版尼崎地域史事典「apedia」から)

 兵庫と言い、武庫と言うのは兵器の庫の意味である。

 六甲は現今では六甲山と呼びなれている。しかし昔は六甲山

 (むこうやま)と言い、あるいは武庫山(むこうやま)とも書いた。

 武庫之荘の地名も武庫村からの転化である。

  
 日本書紀に「務古」「牟古」「六児」の地名が記されていると

 ころから見て、太古から地名があるらしい。
 (昭和27年12月1日武庫之荘文化会報から)
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