俺のアタマの中の言語形態は基本的に関西弁で構成されている。前回の徒然
と言うわけで関西弁以外の言語形態で話されると頭の中が混乱してまう。
自分が関西語圏を離れているならまだしもそこが関西語圏の圏内であれば非常にマズイ。
ただ、よくよく考えてみると普段の生活の中では関西語圏以外の人に会うことは少ない。
ところが友達の中には他の言語形態で話すやつがいる。
それがちっこくて丸っこい男、F太郎であったり、
孤高の舞踏人形、安藤だったりするわけなのだ。
他にも数人いるけどあんまり接触しない場合が多いからここでは省いとこう。
とまあさっき書いた2人と喋ってたら無意識に彼らの口調につられる自分がいる。
暇な人は俺が彼らと喋っているのを観察してみるといい。
関西弁と標準語になりきれていない妙な標準語を交えて喋ってる愚かな様を晒してるのが分かると思う。
できればほんとに恥ずかしいのでできれば観察しないで欲しいんだけどね。
ところで関西語圏の人間は標準語以外の言語形態の人にはかなり寛容だ。
たまに見かける修学旅行生が九州訛りとか東北訛りで話してるのを見ると
“がんばれよ・・・”とか“いいなぁ”とか途轍もなく失礼なことを思ってしまうの俺だけだろうか?
ただ、誰とは言わないけどこの意見に賛同してくれる人も確実にいるぞ?
もちろんこんな考えを持つこと自体、相手を下に見てる事が丸わかりで我ながら恥ずかしい。
しかし、標準語を喋る人間に対してのあの異常なまでの敵対感や嫌悪感みたいな感情はなんなんでしょう?
もちろん“日本の首都はホントは京都なんだ!!”
みたいなおバカな持論を持ってるわけでは決してない。
にもかかわらず心の底から馴染めない気がするのはなんででしょう?
こうなるとF太郎とか安藤とかと喋ってるときに出る標準語は表層的なものとしか思えない。
でもなんで他の言語形態には親近感や守ってやりたいみたいな気分になってくるのに
どうして標準語にだけ敵対感や嫌悪感を覚えてしまうのでしょう?
しかもその感情が俺だけにだけではなく半分以上の関西語圏の人間に表れるのは何故?
それが関西語圏の人間の特質なのか?
謎は大いに大いに深まるばかりだ・・・
そして最後に京都にきてもう5年近くなるのにいまだに九州訛りそのまんまのトミーってすごい!
そう思うのは俺だけかしら?