タバコの味

12月10日(月)

こないだキセルを買った。
刻みタバコを買いに行くのが面倒なのでいつものタバコを詰めて吸う。
さすがにトゲトゲしていてキツイ味。
でも不思議と嫌じゃない。
俺のタバコは8m、しかもメンソール。
今度もっと軽いタバコを買ってきて試してみようかと思う。
たまに聞く事があるのだが日本人のタバコの吸い方はもったいないらしい。
普通はフィルターギリギリまで吸うらしい。
そういえば俺はフィルターギリギリまで吸うこと何てまず無い。
俺は違うけどフィルターギリギリまで吸うのは卑しいと思うのかな?
確かに「卑しい」と毛ほどでも感じられることを嫌う人はウソみたいに多い。
もう1つ聞いたのは「日本一服文化説」だ。
日本の元々のタバコの吸い方はキセルで吸うこと。
管の先っちょにタバコを詰めて吸う。
この時、肺まで煙を入れちゃダメ。
そう、それはただ吹かすだけ・・・
そして一服すんだらすぐ捨てる。
これが江戸っ子の粋らしい(大ウソ)。
ま、どっちにしても一服だけするのが流儀だったらしい。
ちなみに江戸後期での日本の成人の喫煙率は80%を超えていたともいう。
よくよく考えてみると貧しい農民や漁民がタバコを吸えたかどうかは分からない。
でも、老若男女を問わずタバコは愛されてきたものなのだ。
しかし、今は喫煙者迫害の時代。
そら咥えタバコをし、ポイ捨てをする人種を非難するのは当然の事。
ただ、必要以上の健康志向には疑問を感じるよな。
確かに、副流煙によって周りの人が健康を害するのは事実。
そしてあのヤニの臭いが絶えがたい悪臭であるのもまた事実。
ホントに嫌われて当然。
でも人に「禁煙権」があるのなら「喫煙権」というのもあって然り。
タバコを吸えなくていらいらすると仕事の能率も悪くなる。
タバコには鎮静作用があって適度に心を落ち着かせてくれる。
決して百害あって一理の無いモノではない。
とはいえ百害に対してあるのは一理のみといっても過言じゃない。
どう考えても分は悪い。
それでもタバコをやめない俺は何者なんだろうと思う事がある。
俺は雪印コーヒーとタバコがあったらそれで結構幸せだ。
かなり安くつく精神構造の持ち主だと自分でも思う。
でもやっぱりタバコの味には離れがたい妙がある。
こんな事を言っているうちはタバコをやめることなんて出来ないね。
またやめる必要も無い。
理由がある事が全てじゃないけど理由がない必然は絶対に無いと思う。
その必然が現れるのはいったいいつの事やら・・・
どんな事が起こって俺は何を思うのか?
ちょっと楽しみである。

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